大分の古代美術

鬼形



童子形


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木造太郎天及二童子立像 三躯のうち
二童子像
豊後高田市大字加礼川 長安寺
榧 一木造
像高 鬼形94.5cm 童子形97.6cm
平安時代後期(1130年)
重要文化財
もと総鎮守六所権現社(今の身濯<みそそぎ>神社)の主神と伝える木造太郎天像に随侍する鬼形像と童子像である。
 両像ともに手先や足先の一部などを別材製とする他は榧<かや>の一材から彫成した丸彫像である。内刳<うちぐ>りは行っていないが、その木取りは中尊太郎天像とほぼ共通しており、簡潔にして的確な彫像も全く同巧で、三尊一具の像として中尊像内銘にいう大治五年(1130)に造られたものとみて誤りない。
 童子像は中尊同様、美豆良<みずら>を結い、袍衣<ほうい>を着けるが、丸顔のあどけない表情はもとより、首をかしげて、あたかも中尊によりそうような姿態に、より年少の幼児の可憐な様がうかがわれる。一方、左脇侍<きょうじ>像は裳<も>を短めにまとうだけの上半身裸形の姿で、髪を火焔状に逆立て斜め右方を睨む。太く隆起する眉やあぐらをかいた鼻、あるいは両眼を一杯に見開き、口をへしめた面貌は確かに鬼形のそれではあるが、そのユーモラスな表情にはむしろ、人間の悪戯小僧や餓鬼大将を思わせるところがある。また肉付きの良い弾力性のある躰部も小児のふくよかな肉身を表したものとみられ、右脇侍の童子像に対応する一対像として、小鬼像の呼称がふさわしい。
 こうした二童子の像容が、中尊太郎天の本地にあたる不動明王<ふどうみょうおう>の脇侍矜羯羅<こんがら>・制迦童子のそれぞれの性格を考慮しながら、造形化したものであることはいうまでもなかろう。
 ただ、この太郎天三尊がこの地方に栄えた山岳修験道信仰によって生み出されたとみるならば、鬼形像に限っては、我国修験道の開祖として崇められた役小角<えんのおづぬ>が自らの手足の如く使役したという前鬼<ぜんき>・後鬼<ごき>のイメージが重ね合わせられていたかもしれない。
 ともあれ、両像は平安後期における六郷満山の特殊な信仰形態の一面を物語る類例稀な彫像としてその存在意義は大きい。
(松島 健)
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