大分の古代美術

僧形八幡神坐像



女神坐像(社伝比売神)



女神坐像(社伝神功皇后)

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木造僧形八幡神坐像 一
木造女神坐像    二
 三躯
杵築市大字奈多 奈多宮
檜 一木造 彩色
像高 僧形八幡神  54.2cm
   女神(その1)55.8cm
   女神(その2)48.5cm
平安時代後期(11世紀)
重要文化財
八幡三神は平安時代初期から造り始められ、京都・教王護国寺(東寺)や奈良・薬師寺の像がその典型とされている。早い時期の像は八幡神を比丘形<びくぎょう>に、二女神像を唐風の装束の姿で表しているが、鎌倉時代に入ると、八幡神を衣冠束帯に、女神像も和風に造ることが多くなった。奈良官の祭神である本像は古い形に属すもので、中央に比丘形で胸を大きく開いた衣をまとい結跏趺坐<けっかふざ>する八幡神像を置き、向って右に冠を戴き唐風の衣を着て袖の中で拱手<きょうしゅ>し坐る女神像その1(伝神功皇后<じんぐうこうごう>)、左に頭飾をつけ和風の衣をつけたその2像(伝比売神<ひめのかみ>)を配している。形の上で特に注目されるのは女神像が大きい冠と頭飾を付けることで他にあまり例がなく、特にその1像が衣を左袵<さじん>にまとうのは古制を踏襲したものと考えられる。
 像はいずれも像底中央の前寄りに木芯を含んだ檜<ひのき>の一木造<いちぼくづくり>で、内刳<うちぐ>りは全く行わず、八幡神像の失われた手先のみ別材矧付とする簡略な構造である。彩色の多くは剥落するが、髪、眉、眼を墨彩をし、唇に朱を点じ、肉身部は白土彩、着衣を朱で彩っていた模様である。
 像の彫り口は全般に簡素で、背面は肉身の起伏を表わすのみである。八幡神像では衣の纏<まと>い方も判然とせず、女神像その1の上膊に表わされた帯状の彫りは背子<はいし>の縁か鰭袖<ひれそで>を形式化したものと考えられる。しかし小品とはいいながら膝部の張りと出は明確に造って像に安定感を与えており、弓なりの眉に細く切れ長な眼を刻み、鼻、口先を品よく簡潔に得て造る表情は耳朶<じだ>を強く張らせる形などは仏像彫刻に共通するものである。これらの表現上の特色や木取りの法から判断すると、11世紀の製作とするのが妥当であろう。
(鷲塚 泰光)
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