| 大分の古代美術 | |
![]() 大鷦鷯命 ![]() ![]() 大葉枝皇子 ![]() ![]() 小葉枝皇子 ![]() ![]() ![]() ![]() 隼総別皇子 ![]() (拡大:写真をクリック) |
(若宮鎮座)五躯 大鷦鷯命坐像 一 大葉枝皇子坐像 一 木造小葉枝皇子坐像 一 隼総別皇子坐像 一 |
| 宇佐市大字南宇佐 宇佐神宮 檜・桂 一木造 彩色 像高 大鷦鷯命38.6cm 大葉枝皇子27.8cm 小葉枝皇子27.1cm 隼総別皇子33.〇cm(台座を含む) 平安時代後期(12世紀) 重要文化財 | |
| 元来神道には偶像支配の風習はなかったが、仏教が大陸から伝えられ、仏像が礼拝されるようになると、神道でもより具体的な神の姿が求められるようになったとみえ、8世紀(天平時代)には神像が造られたという文献もみられるようになる。現存の神像彫刻は9世紀のものが最も古く数も少ないが、11・12世紀(平安後期)になると作例は急激に多く遺されるようになり、神像彫刻の黄金時代を迎える。宇佐若宮の神像五躰もその典型的な一例である。 髪を頭頂で結<ゆ>い、背面に長く垂らした女神、大鷦鷯命<おおささぎのみこと>坐像を主神とし、その左前に胄を頂いて坐る大葉枝皇子<おおばえのみこ>像、左後に方膝を立てて坐る いずれも実に素朴でおだやかな彫り口を示し、女神像の眼瞼を刻まず、上瞼<まぶた>を刻まず、上瞼<まぶた>と下瞼の段差だけで眼をあらわす所や簡素な衣文など、地方における平安後期一木彫の仏像に共通する趣が強い。また神威を示すような怒りの表情に作る男神像は、一方は頭巾をかぶり、拱手<きょうしゅ>する袖の衣文に翻波<ほんぱ>式に近い鎬<しのぎ>をつけ、一方は兜をかぶり、その左右に炎髪<えんばつ>をつけるなど、夫々個性を示しながら、共に平安後期の天部や神将像などに共通する温和な造形を示している。特に小葉枝皇子像は童子形で正座した腰をやや上げて上体を反らせ、顔をやや俯向かせた動きの一瞬を巧みにとらえ、簡明な彫り口で的確にまとめ、注目されよう。 五躰はそれぞれ姿態のまとめ方や彫り口に相違がみられるので、当初は別々に造られたものが、後に五尊としてまとめられたものと考えられる。 なお『宇佐宮御託宣集』所収の文治二年(1186)の年紀のある『若宮御形像五躰御事』によると、若宮の五神像は、御託宣により大神蘊麻呂<おおがのあつまろ>(仁寿二年《852年》に若宮が建立された当時の宇佐神官)が造顕したと記している。まあ同文書に五躰それぞれの形姿についても記述していて、それはほぼ現存の像のそれと合致するが、当初の神像が失われた後、現存像がそれにかわって安置され、その形姿がこの文書に記し遺されたと解すべきであろう。 (西川 杏太郎) | |
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