大分の古代美術

祖師形像坐

菩薩形男神坐像

女神像坐

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木造菩薩形男神坐像 一躯
木造女神坐像    一躯
木造祖師形坐像   一躯
大分市大字八幡 柞原八幡宮
檜 一木造 眼彫 彩色
像高 菩薩形男神像 46cm
   女神像    36cm
   祖師形像   54cm
平安時代末期
県指定文化財
柞原<ゆすはら>八幡宮の創立は古く、天長年間(824〜833)に、比叡山の僧金亀は霊感を受け、宇佐八幡宮を勧請したものといわれる。
 近年社殿一隅の宝物庫から男女二躯の神像が発見された。
 女神<じょしん>像は腰部以下の朽損欠部が多く、像全体の形を知ることができない。頭髪は中央から左右に分け背に垂らす。垂髪の下から、頬の両側の髪を垂らして、頤<あご>の線でそろえているのは、鬢枇<びんどぎ>を現わす。江馬務はこれを藤原中期以降に行われたとし、同氏『日本結髪全史』中央公論社)この女神像の髪形に類するものを大垂髪<おおすべらかし>という。通常の唐衣装を着し、大袖の下に胸高に拱手<きょうしゅ>しているが、極めて肥満型豊頬の平安朝貴婦人の姿である。垂髪に墨色、襟<えり>の下の単<ひとえ>に朱、顔面・胸部に白下地、唇に朱が残る以外は、ほとんど彩色は剥落している。
 男神<だんしん>像は頭部に簡略な宝髻を結い、三面宝冠を頂く菩薩形である。宝髻の頂上は朽損欠失している。二条の天冠台下の地髪はまばらであるが、髪際はほぼ水平で瞼<まぶた>は厚く目は伏せる。幅広く顎のつまった丸い相好の口元は、への字型に強く結ばれる。両ひじから先と、両脚部は共に欠失している。躰躯の中心付近に木心を含めた木取りであるから、背面中央には頭部から腰部地付まで、縦に干割<ひわ>れが生じている。男女神ともに、衣文の彫りは簡略となり、単調な平行線状になるなどの、形式化が見られる。女神像の髪型や、穏やかな作風から、平安末期よりは、さかのぼり得ぬものと思われる。小さな像であるが、いかにも神像らしい気品をたたえている。
 このほかに、祖師形像と仮称する一躯は、内刳<うちぐ>りの施されぬ一木造であるが、両手先と両足部は別材で造り、矧<は>ぎ寄せている。頭巾<ずきん>をかぶり、広い額に波形のしわがあり、眉長く左右に垂れ、鼻大きく、乱杭歯<らんくいば>を現わす。両手は掌を上にし、各<それぞれ>何かを握った形である。助骨の露<あらわ>なやせた体に薄い着衣、左肩に片結びにした簡素な袈裟<けさ>をまとう。眸<ひとみ>の墨色、各所に白下地を残す他、彩色はすべて剥落している。
 額のしわ、衣文線などは、ほとんど線彫りに近い手法であるが、不自然さが感じられない。片結の袈裟紐の彫り方には、軽妙なものがある。
 個性味のあふれた珍しい肖像彫刻であり、興味をそそるものがある。写実的であることから、制作は平安末期から鎌倉初期の間と推測される。
(岩男 順)
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