大分の古代美術



童子形立像 太郎天立像 鬼形立像

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木造太郎天及二童子立像 三躯のうち
太郎天像
豊後高田市大字加礼川 長安寺
榧 一木造 彩色
像高161.8cm
平安時代後期(1130年)
重要文化財
木造は明治初年の寺社分離が行われるまでは、六郷満山中山本寺<ろくごうまんざんなかやまほんじ>として栄えた長安寺<ちょうあんじ>の背後に建つ総鎮守六所権現(今の身濯<みそそぎ>神社)の主神として祀られていたものという。
 左手のすべて(後補)と右手先を除いて、ほぼその全容を榧<かや>の一材から彫成」し、後頭部と襟下から膝裏まで上下四段に分けて背板風に割矧<わりは>ぎ、内刳<うちぐ>りを施<ほどこ>す。像内にはほぼ前面にわたって墨書があり、この像が正しくは「屋山太郎惣大行事」と称する神体像で、大治五年(1130)に百余名に及ぶ僧俗多数の結縁<けちえん>を立て造られたことがわかる。結縁者名中の「御前検校妻殿」は造像の願主、「豊前講師覚成」「僧義暹」「僧勝智」のいずれかが作者ではないかと推察される。この他、頭部内正面には不動明王<ふどうみょうおう>の種子<しゅじ>(カーン)が、またこの明王の尊容や功験<くげん>の一端を説いた『不動尊作十九観』や『勝軍不動明王四十八使者秘密成就儀軌』の偈<げ>が背・腰部に記されており、この神像の本地仏<ほんちぶつ>が不動明王であることも明らかにしている。
 美豆良<みずら>を結った童形像として、豊頬端正な少年の貌に表わされており、眼尻を吊り上げた鋭い両眼のつくりに神像らしい厳しさが感じられる。また、着衣の襞を全く省いた簡明直截な表現もこの種神像彫刻の一傾向を示すものといえるが、上衣の袖や袖口、袴などに種々の文様の痕跡があり、当初はかなり華やかな彩色像であったことをうかがわせる。
 左手にもつ三葉付の小枝や右手の蓮台付宝珠<れんだいつきほうじゅ>と団扇<うちわ>形の葉形を上部につけた杖(後補)の二つの持物<じもつ>が意味するところは明らかにし難いが、本地仏を不動明王とするこの特殊な童子形神像を生み出した背景には、平安後期以降に降盛をみた六郷満山独特の山岳修験とその不動尊信仰があったのではないかと想像される。
(松島 健)
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