大分の古代美術




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銅板法華経 一九枚
銅筥板 四枚
豊後高田市大字加礼川 長安寺
鋳銅
銅板経 各葉縦20.8cm 横18.2cm
銅筥板 大 縦21.3cm 横18.7cm
    小 縦21.4cm 横11.7cm
平安時代(保延七年=1141)
重要文化財
 長安寺<ちょうあんじ>は豊後高田市大字加礼川<かれがわ>にある天台宗の古刹で、山号を金剛山と号し、六郷満山の本寺、末寺六十三ヶ寺の惣山として栄えた寺である。
 この銅板法華経は、この寺の背後より発掘されたといわれ、現在銅板法華経一九枚と銅筥<どうはこ>四側板四枚とが所蔵されている。十九枚の銅板経は色紙形の鋳銅板で表裏を磨き法華経八巻を鏤刻<るこく>したものである。各葉とも二十八行の縦罫をひき、さらに中央に横線一條を加えて上下二段に分けている。経文は楷書で、一面二十八行三十四、五字詰となっている。字詰から推察すると当初は三十七枚であったことがわかる。従って十八枚が散逸してしまったことになる。しかしその十八枚のうち現在地で所在の明らかなものには、岡山県・妙覚寺蔵(第六枚目)、東京都・五島美術館蔵(第八枚目)、東京国立博物館保管(第三十七枚目、表は法華経巻八巻末及奥書、裏は般若心経及奥書)などがある。
 またこの銅板経を納めたと考えられる銅筥<どうはこ>の側板四枚が保存されているが、蓋と底板はいま失われている。うち二枚は銅板経より縦横一分ほど大きく、他の二枚は縦が前二枚と同寸であり、横は三寸八分の長方形銅版である。いずれも銅板の縁を鋲留<びょうど>めした痕跡があり、縁あて板の一部残片を遺存している。この四枚の側板表裏には、銘文や六観音像や種子<しゅじ>が毛彫りにしてある。その銘文によると保延七年(1141)豊後国六郷から銅五百九十碩、並に石清水惣別当暹意が銅六百八十碩の供養によって製作せられたことがわかる。紀年銘の保延七年は、福岡県豊前市求菩提山<くぼてざん>普賢窟出土の康治元年(1142)の国宝、銅板法華経・銅筥(国玉神社蔵)より一年前であり、しかもその作者の紀着永、紀重雅の名が両者に見え、ほかに僧辨仁の名がみえるのは興味深い。また銘文中に石清水惣別当の名がみえるのは、六郷満山、宇佐宮、石清水八幡宮の深い関係をうかがうことができる資料として注目される。求菩提山、国玉神社蔵のものと親近の関係にあると共に、この種の遺品として稀有なものである。経文の書体や字配りなどは、この方が整っている。平安時代末期における当地の山岳信仰関係の資料として貴重なものである。
(安藤 孝一)
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