大分の古代美術

龍頭



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銅鐘 一口
天復四年云々の左文銘あり
 宇佐市大字南宇佐 宇佐神宮
 鋳銅
 総高86cm 口径47cm
 身高68.2cm 口縁厚3.6cm
 新羅(904年)
 重要文化財
鋳銅製。鐘身は銅張りが強く、裾がやや窄<すぼま>った形をし、やや甲盛りのある笠形の上には背後に円筒状の甬<よう>(旗挿)<はたさし>を付けた龍頭<りゅうず>を据えている。龍頭は唇が大きく反り返って笠形を噛んでいる。鐘身は袈裟襷<けさだすき>を設けず、幅の広い上帯と下帯を廻らせ、その文様は内区・外区に唐草文を表わし、縁を蓮珠文で飾った半円形を並べ、相間を唐草文で埋めている。撞座<つきざ>は連珠文で囲んだ七葉蓮華形で、龍頭の方向と平行に位置している。また左右の中央には飜<ひるがえ>る天衣をつけ雲上に趺坐<ふざ>して両手をひろげ鼓を打とうとする飛天<ひてん>を表わしている。上帯に接して四方に乳廓<にゅうかく>を設け、三段三列に乳を配している。乳廓は上帯・下帯と同文をもって飾り、乳は蓮蕾<はすのつぼみ>形につくっているが、背面の二区と正面の二内の内各一個づつが欠失している。また正面の撞座と向って右の飛天との間に銘廓を設け、次の銘文を左文字<ひだりもじ>で鋳出している。
 「天復四年甲子二月廿日 松山村
  大寺錘成内文 節本和上能與 本村主
  連篳一 合入金五千八十万 成」
 この朝鮮鐘はもと宇佐神宮の神宮寺であった弥勒寺に伝わったものである。朝鮮鐘は和鐘と異って龍頭に甬(旗挿)を付け、鐘身に袈裟襷を設けず、華麗な文様で飾っているなど特色が強い。現存する朝鮮鐘の内、新羅時代の在銘鐘は極めて少なく、韓国江原道平昌郡上院寺の鐘(開元十年=725)、国立慶州博物館の鐘(大暦六年=771)、ソウル国立中央博物館の鐘(貞元廿年=804)が知られ、わが国では福井県常宮神社の鐘(太和七年=833)と本宇佐神宮の鐘(天復四年=904)が残っているにすぎない。
 この鐘は銘文によって天復四年(904)に松山村大寺の鐘として鋳造された。時の和尚は能與、本村主は蓮篳一であり、銅五千八十万(「方」の意味不詳)を用いてが鋳造したことがわかる。天復四年(904)は唐の昭宗朝の年号で、日本の延喜四年、新羅の孝恭王八年に当る。
 小形ながら大らかな形をした鐘で、龍頭の形、上帯・下帯に施された文様は上院寺や中央博物館の鐘に共通した特色があり、また天衣を飜して鼓を打つ飛天、霊芝雲<れいしうん>撞座の文様などに唐草が窺われる。華やかな意匠を施した新羅時代最後の鐘として貴重な存在である。
(廣井 雄一)
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