大分の古代美術

表面

裏面

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孔雀文磬 一面
 宇佐市大字法鏡寺 北 圭一
 鋳銅
 肩幅28.8cm 裾張34.0cm
  高12.9cm
 鎌倉時代初期(1209年)
 国宝
磬<けい>とは元来中国古代に用いられた楽器の一種で、「へ」の字形をした石・玉<ぎょく>製のものであった。わが国では仏教の伝来と共に伝えられ、仏堂内において磬架<けいか>に懸垂され仏事での梵音具として顕・密教を問わず各宗寺院で用いられている。
 奈良・平安時代前期の磬の遺例としては、正倉院の鉄製磬や法隆寺の重要文化財・無文磬などが知られる。これらは原初の姿をのこして低い単純な山形をなしているが、すでに「へ」の字形ではなくなり左右対称形に変化している。これ以後、上下縁が連弧で構成される磬の基本形が完成し、この他雲形・蓮華形・蝶形などの変形磬は見られるようになる。
 北家の磬は、鋳銅製で山形の上下縁を相対応する凸凹の弧につくる通例の形を示している。縁は厚目で断面が菱形をなし、内縁に一筋の紐を廻らし、山形の上縁左右には吊鐶<つりかん>を鋳出している。内面の表は中央に蓮弁が交互に重なり合う八葉複弁の撞座<つきざ>を据え、左右には翼を広げ両脚をそろえて立つ孔雀を対照的に鋳表わしている。裏面には表に比べてやや小振りの撞座を中央に据え、その左右に左記の銘文を陽鋳している。

 承元三己巳
 八月五日丙寅
 奉鑄之
 (撞座)
 弥勒寺金堂
 佛磬自京遣之
  法印祐清

 一般に鎌倉時代の磬は平安時代のものに比べて山形が高く、州浜<すはま>形の股入りが深くなって両側が直立に近くなるが、この磬では承元三年(1209)という銘が示すごとく両時代の中間的形姿をみせている。しかし雌型の型土に箆押<へらおし>で表わした撞座や孔雀の文様は肉厚く重圧なつくりになり、また中央の弧に比べて左右の弧が縮まっているなど、当代の特色をも如実に示している。
 銘文中の弥勒寺とは宇佐八幡宮の神宮寺のことと思われ、また法印祐清は、京都の石清水八幡宮の第三十二代別当法印権大僧都田中祐清に凝せられている。ところでこの磬と撞座・孔雀などのつくりがほぼ同一で同工の手になると考えられる奈良県北村家蔵の重要文化財・孔雀文磬の銘文に、「爲法眼秀清/離苦得樂往生/浄土也/承元二年戌辰/十月/日」とある。この法眼秀清とは同年八月廿三日に十六歳で夭折した祐清の子であり、その菩提を弔うため承元二年この磬(北村家蔵)が作られ、さらに翌三年に同型の磬を作り、京都より宇佐八幡宮の神宮寺であった弥勒寺金堂に施入したのがこの磬であることがわかる。
 雄大・荘重な形姿、箆押の卓抜な技法を示す銅磬中の逸品であるとともに、その製作時期、施入者等がほぼ明らかであり、史料的にも貴重である。
(鈴木 規夫)
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