大分の古代美術

三宮神社蔵経筒

大行事八幡社蔵経筒

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銅経筒 二合
大野郡緒方町大字上自在 三宮神社
大野郡緒方町大字大化 大行事八幡社
青銅鋳造
三宮神社蔵   総高36cm 筒高23.4cm
        口径7.9cm
大行事八幡社蔵 総高26.5cm 筒高23.7cm
        口径5.5cm
共に平安時代末期
県指定文化財
九州からは多くの在銘経筒が出土している。小田富士雄氏の『仏教芸術』第七六号所収「九州の経筒」によると、大分県は福岡県に次いでいる。『大分県史・美術篇』には、県内発見在銘経筒十五号をあげている。この中、最古のものは速見郡山香町立石<たていし>字向野<むくの>の津波戸<つばと>山水月寺後から出土した永保三年(1083)銘の経筒である。この他の十三合はいずれも12世紀前半の紀年が刻まれている。分布は大野郡緒方町と下毛郡三光村に多く、その他県下全域にわたっている。
 経筒は埋経に用いたもので、平安時代後期、末法思想の普及により経塚が多く造られ、そこから経筒が多く出土している。
 これら在銘経筒のほとんどは、県外に出ており、わずかに大野郡緒方町に二合が残っている。

 【三宮神社蔵永久三年(1115)銘銅経筒】
 青銅鋳製で蓋<ふた>は軒四角形の笠形である。笠の頂に別鋳の相輪五個を差し、塔に見立ててある。軒の四隅の小さい穴は、風鐸<ふうたく>を下げたものであろう。蓋の内側は円筒形の口を造り出し、筒との接合を印籠<いんろう>とする。筒身には上縁に二条、中央に三条、基台に接し二条の帯を巡らす。台座は泰文で底板は同鋳のようである。筒身には中央の帯をはさみ、四行にわたる刻銘が、ようやく認められる。

 永久参年 歳次乙未 四月十八日 鋳師橘是貞 願主僧定与 為父母孝養修如法経願成

 つり合のとれた美しい経筒であるが、近年相輪部に拙劣な補修を施したのは惜しい。この経筒の由緒が社殿背後の石碑に刻まれている。宝暦九年(1759)にこの地に出土したことを、岡城主中川久貞が記したものである。

 【大行事八幡社蔵経筒】
 青銅鋳造で蓋は笠形の被<かぶ>せ蓋、頂に簡略な宝珠形の鈕<ちゅう>がつく。筒身は細身で中ほどに多少のくびれがある。筒の上縁と下縁に各二条の帯を巡らす。底部は台座の作り出しを設け、底板は現状では欠失しているが、はめ込みであったものと考えられる。筒身には二行にわたり、左記の刻銘が見られるが、余り明らかではない。()は『史蹟名勝天然記念物調査報告書十四輯』で補った。
 行僧友千書(□)元歳丙午閏十月廿日(□十合□)施主(□)
 元歳丙午は大治元年(1126)と推定している。『豊後国志』には、天明二年(1782)に大風で倒れた松の老木の下から出土したことが記されている。細身の筒身が引き締っており、気品が見られる。
(岩男 順)
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