| 大分の古代美術 | |
![]() ![]() 神人車馬龍虎画像鏡 (拡大:写真をクリック) |
神人車馬龍虎画像鏡 一面 |
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豊後高田市大字草地 鑑堂古墳出土 豊後高田市大字草地 黒松区 白銅製 径二〇.五cm 古墳時代 | |
| 白銅製。珠文<しゅもん>三七箇をめぐらした珠文圏をともなう円座鈕<ちゅう>を中心に内区と外区に分けられる、内区は大形の円座乳<にゅう>四箇を配し、各乳間に二神、二獣、一車馬を配したいわゆる対置式の画像鏡である。二神は正坐して対峙し、神獣鏡にしばしばみられる両肩から上方へ反転する領巾<ひれ>をつけた形状はみられない。これが東王父<とうおうふ>と西王母<せいおうぼ>である。両神の中央前では台座をもつ擬宝珠<ぎぼし>様のものを捧げているほか、とくに装飾はない。車馬図は疾駆し、いななく駟馬<しば>が車を牽くが、躍動の様は他の同様式鏡に較べ静的である。また二獣の青龍・白虎も動勢に乏しいが表現は確実である。内区に接して銘帯があり、隷書体でもって三九字からなる次の銘文が鋳出されている。 「劉氏作竟四夷服多賀国家人民息胡虜殄滅天下復風雨時節五穀孰長保二親得天下大吉利兮」 外区は銘帯の外周に櫛歯文帯をめぐらし、一段高く据歯文帯、更に連環状の唐草文帯が順次めぐって素文の縁となる。縁はほぼ平線に近いが、鏡胎の反りに沿ってゆるやかな傾斜をもつ。全体に鋳上りはよく、画像鏡特有の文様表面が平らな表出手法がみられる。 鏡の製作年代は明確ではないが、銘文に後漢順帝の諱<いみな>「保」が用いられており、それ以前の製作とみることが妥当であろう。また文様の構図が漢の元和三年(八六A.D)銘、永初七年(一一三A.D)銘などの画像右に近い系統であることも年代決定のうえに注意を惹く。中国では画像鏡の出土は南部に多く、とくに浙江省紹興古墓からは多数の出土例が知られているが、後漢や呉の紀年鏡と伴出し、その盛行の時期が後漢末から三国時代にわたることが知られている。この鏡の時代もその範疇に位置して考えられる舶載鏡である。 本鏡は幕末に豊後高田市鑑堂古墳(円墳)の石室に収められた石棺中より出土したと伝えるが詳細は明らかでない。 (三輪 嘉六) | |
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