大分の古代美術

不動明王坐像      大日如来坐像

種子曼荼羅

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熊野磨崖仏
豊後高田市大字平野
石造
平安時代中期(10世紀)〜
鎌倉時代初期(12世紀後半〜13世紀初頭)
特別史跡 重要文化財
 豊後高田市の南端、山中にある胎蔵寺<たいぞうじ>からさらにけわしい山道を登った小さな台地に熊野磨崖仏がある。溶結凝灰岩の自然の岩壁二ヶ所に、それぞれ如来像と不動明王像とが刻み出されている。
 まず、台地の東寄りの丘に南向きに露出する岩壁には高さ約八m、中約七mの龕<がん>形のくぼみを造り、その中央に大きく如来像を浮彫りしている。壁面は垂直ではなく、斜面をなしていて、像の頭部は両耳後まで高肉彫りであらわすが、躰部は下へ行くに従って浅く刻み、特に壁面下半部は、灰と小石混りの軟弱な岩を露出しているので、彫刻は下半身まで至っていない。像の高さは約七mに近い巨大なもので、その頭部背面には円形の光背<こうはい>が刻まれ、その上方に方形の種子曼荼羅<しゅじまんだら>三面が平行して陰刻されている。三面のうち中央の一面は刻字も深く、書体も古様であり、磨損も甚だしいので、三面の中では最も古く刻まれたものとみられる。刻字が磨滅しているため、曼荼羅の種類が確認出来ず、理趣経曼荼羅<りしゅきょうまんだら>、愛染<あいぜん>曼荼羅、あるいは不動曼荼羅など」の諸説があるが、決め手はまだない。両側の二面は、金剛界<こんごうかい>と胎蔵会<たいぞうかい>の両界<りょうかい>曼荼羅と考えられるが中央主尊の種子が入れ替わっているなど通常の布置と異なっている。
 この壁面から約13m西寄りに別の突出した岩塊があり、その南壁面に不動明王像が刻まれている。その高さは8mを超える大きなものである。この壁面下半部には明王像の両側に約3m高の矜羯羅・制迦の二童子像が刻まれていたことがわかるが、風蝕が甚しく像容の細部はわからない。
 この熊野磨崖仏の制作にかかわる古記録の類は、他の磨崖仏と同様、全く明らかではないが、加来像の方は、その雄偉な表現からみて、平安中期頃の製作と思われ、豊後地方の石仏中、最古の製作と考えられる。不動明王像の方は、鎌倉時代に入っての製作であろう。
 いずれにせよ、注目すべき巨大な磨崖仏であり、この地方における山岳修験の霊場にふさわしい遺構といえるであろう。
(西川 杏太郎)
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