大分の古代美術

如来坐像

不動明王立像



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宮迫東磨崖仏
大野郡緒方町大字新
石造 彩色
像高160〜365cm
鎌倉時代(13世紀)
史跡
緒方町大字新に宮迫<みやさこ>磨崖仏と呼ばれる二つの龕<がん)がある。東の方の仏龕は左から尊名不詳の立像、不動明王<ふどうみょうおう>像、如来の坐像、天部<てんぶ>立像二躰の五尊が刻まれている。中尊の如来像はいわゆる丈六像で、頭部には螺髪<らほつ>を刻まず、納衣<のうえ>をまとい、左手は膝上に置いて与願印<よがんいん>を結び、右手は胸脇で施無畏印<せむいいん>を表わし結跏趺坐<けっかふざ>する姿である。像容からすれば釈迦如来<しゃかにょらい>又は薬師如来<やくしにょらい>に当るが、地元では大日如来<だいにちにょらい>と呼んでいる。熊野磨崖仏(豊後高田市)の如来像も大日如来と称するように、豊後地方では薬師・大日同躰説というものがあって特殊な呼称をするようである。その理由は明らかにし得ないが、想像をめぐらすと、無病息災で安穏な生活を祈願していた本尊薬師如来が古来より信仰の中心にあって、後に密教が入るに及びその思想体系の根本となる大日如来の名称と教義のみが取り入れられ、旧来の如来形像を大日と呼ぶようになったかと思われる。
 像は上方が奥まった斜の壁面に刻まれているため、体勢が後方に寄りかかる様に造られており、奥行が深い両足部の形がその印象を一層強めている。このような姿態の像は千歳<ちとせ>村大迫<おおさこ>磨崖仏のように鎌倉時代以降の巨像にまま見受けられるものである。面相部の肉取りには張りがあって、鼻や口の作りも大きく力強い表現となっている。一方納衣<のうえ>の襞は概念的な線状を刻む素朴な作りである。不動明王像は中尊に比べて奥行は浅くなり、頭髪や面相の彫りは太く荒い。特に手足の作りが大きく調和を失するところがあり地方色の強い作例と言えよう。天部形についても同様のことが指摘される。このような豪放な作風と地方色豊かな造形から考えると製作は鎌倉時代に入るとするのが妥当であろう。
 右の側壁には五輪塔が二基双塔形に刻まれている。
(鷲塚 泰光)
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