大分の古代美術

薬師如来坐像 釈迦如来坐像 阿弥陀如来坐像

釈迦如来坐像

阿弥陀如来坐像

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宮迫西磨崖仏
大野郡緒方町大字新
石造 各145.〇cm
鎌倉時代(13世紀)
史跡
宮迫西磨崖仏は龕<がん>内に刻まれた如来の三尊である。像はいずれも大粒の螺髪を刻み、納衣<のうえ>を偏袒右肩<へんたんうけん>にまとい、右足を外にして結跏趺坐<けっかふざ>する姿で、左の如来は膝前で定印<じょういん>を結び、中と右の2躯は左手を膝上に置き、右手は胸前で施無畏印<せむいいん>を結んでおり、左から阿弥陀如来<あみだにょらい>、釈迦如来<しゃかにょらい>、薬師如来<やくしにょらい>像と呼ばれている。台座は各方座で正・側面に裳<も>を懸けており、光背<こうはい>は肩の部分にくびれをつけた拳身光である。中世の補彩を混えると思うが彩色も比較的よく残っている。肉身部は黄土で彩り、着衣は表を朱、折返し部は群青<ぐんじょう>彩として、頭髪には群青を塗り、眉・眼・髭を墨描とし、唇に朱を点じている。光背も朱系を中心としながら黄土を混え、同縁部には円盤形を配して中に種子を書くが、多くは剥落して、左の阿弥陀如来像の「キリーク」のみがそれと判別することができる。
 三躯共同大に造られていることから、釈迦に過去を、薬師に現世を、阿弥陀に未来を託す三世仏として造顕されたと思われる。この三尊を中心とする三世三千仏の信仰が鎌倉時代以降盛んになっていったことの反面であろう。
 大粒の螺髪を基盤目状に並べ、顔は面長に作り、太い眉と厳しい眼を表わし、口元をきつく結んだ威厳のある表情は平安末期の柔和な慈悲相とは異なっている。三道<さんどう>を刻む首も躰部にめり込む様な形で、躰部には量感があふれている。しかし衣文<えもん>の彫りは類形化し、特に台座にかかる懸裳の表現は形骸化しており、総体に地方的な作風が眼につく。以上の特色から総合的に判断すると、この三尊も宮迫東磨崖仏と同様に鎌倉時代に入っての造像とすべきであろう。
 覆屋にかこまれているため保存は比較的良好であるが、顔や手先には剥落が認められる。
(鷲塚 泰光)
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