| 大分の古代美術 | |
![]() 薬師如来坐像 ![]() 不動明王立像 (拡大:写真をクリック) |
元町石仏 |
| 大分市大字元町 石造 彩色 像高 薬師如来 307cm 毘沙門天約260cm 不動明王約250cm 平安時代末〜鎌倉時代初期(12世紀末) 史跡 | |
| 磨崖仏は元町<もとまち>台地の南面する斜面に刻まれたもので現在はこれをすっぽりと覆う堂がかけられている。“岩薬師”と呼ばれる本像は高さ約5mの龕<がん>の中央に薬師如来像<やくしにょらい>像、左に毘沙門天<びしゃもんてん>、右に不動<ふどう>三尊の各立像が彫り出されている。薬師如来像は3mを超える巨躰で、頭部には肉髻<にくけい>を椀形に造り、地髪にかけて螺髪<らほつ>を整然と刻んでいる。納衣<のうえ>は両肩をおおい、左手は膝上に置き、右手は曲げて前方に出し結跏趺坐<けっかふざ>する姿である。主要部はすべて磨崖からの彫り出しであるが、現在欠失する両手首から先は当初から別の石材で造り柄立<ほぞた>て矧付<はぎつ>けとした模様である。本躰と供彫りにすることも可能な両手先などを木彫のように別に造って矧ぎ寄せる法は大分県の磨崖仏ではまま見受けるやり方で、木彫像の影響が強いといわれる所以である。 その表情は弓なりの眉に中央が凹状をなす切れ長の眼を刻み、鼻と口元は極度に小さく表現しており、頬の肉付けも顎にかけて引締め若やいだ清々しさにあふれている。大きい頭部の形と肩の張った躰部の形が、成熟した肉躰というより童子に近い印象を与えるのであろう。右顎から躰部にかけては欠落や剥離が多く、そこには細かい穴に鉄釘を挿し込んでいるのが目立つ。この技法は石材を基体としてこれに塑土ないし漆喰を盛上げて塑形仕上げをする一方法との見方もあるが、木像の場合は泥化した基体を打釘によって強化しこれを木舞<こまい>の役目として風化した表面を補修整形したのではないかと思われる。 椀形の肉髻や整った螺髪、穏やかな丸い面相、浅く形式的に刻まれた衣文の表現から12世紀後半期の造像と考えられる。左側の毘沙門天は頭部から上半身を失い、不動明王像は胴を失って頭部が脱落し、二童子像も躰部を残すのみである。その彫り口は母岩の形から中尊像より太めに造られているものの、時代はほぼ同じ頃と考えられる。 (鷲塚 泰光) | |
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