| 大分の古代美術 | |
| 仏教以前 | 賀川 光夫 |
| 第一章 縄文時代 第二章 弥生時代 第三章 古墳時代 本項では大分県下の縄文・弥生・古墳時代の主要な遺跡、遺物を概観し、その中で美術的要素をもつ遺例について述べることにする。この項は「大分の古代美術」という命題で行うものであるため、その遺例を美術という観点で追い求める必要があり、通常の概論「大分の考古学」とは主を異にする点を了承していただきたい。 |
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![]() 細線刻文土器(龍宮洞穴遺跡) ![]() 黒色磨研土器(大石遺跡出土) |
第一章 縄文時代 縄文時代の遺物は、土器、石器、骨角器、または土製・石製など多種類に及ぶ。このうち容器としての土器は生活に最も密着した遺例で、考古学の研究の中、編年の基準とし他遺物に比して重要視されている。しかも土器製作にあたっては、呪術的文様を超えて意識的に美的構想にもとづいて文様を施したものもみられる。このような美的構想にもとづいて「縄文芸術」(美術)という名称を付し、美術的に問題をとらえようとする研究がある。そもそも考古学者が縄文土器を編年の主要遺物として細分する一つの有力な見方に文様の分類がある。文様を施す材料(施文工具)及び文様の施し方(施文技術)の研究が今日の日本考古学のもっとも重要な基礎となっているのである。この点からすれば、一般の美術、彫刻や絵画との大きな観点の相違があるようには思えない。 さて一部に「縄文芸術」(美術)といわれるほど、縄文式土器の文様は興味深い。その一例をあげれば、青森県西津軽郡木造町亀ヶ岡からみつけ出された土器について、津軽藩「永禄日記」には 「(前略)亀岡と申す由。此所より奇代之瀬戸物掘り出し候也。(以下略)」 とあり、江戸時代においてすでに「撚糸<よりいと>」を自在にころがして縄目<なわめ>の文様を施した奇妙な土器に関心がむけられたことがよくわかる。 縄文原体をころがして文様を施す土器の装飾は複雑で、その構成にも興味深いものがある。日本列島の全地域で撚糸の軌跡を基本にして構成された文様は、東北日本では濃密、西日本、特に九州においては稀薄といわれる。大分県速見郡日出町早水台遺跡は縄文早期の大集落である。遺跡から掘りだされた土器は回転棒に山形や楕円形の彫刻を施した原体(施文工具)を土器壁に回転押捺し、山形、楕円形を施した押型文土器である。 九州の縄文土器のうち、大陸、半島との関係ありとされるものに櫛目文<くしめもん>土器がある。直入郡荻町龍宮洞穴は阿蘇溶岩台地の東辺にできた浸蝕谷にある岩陰遺跡である。河川は急流であるが岩陰前面はわずかな増水でも侵入できるほどである。このような岩陰遺跡ではあるが土器をはじめ石器などがまとまって包含されている。土器は一般に二股の櫛歯状施文具をもちいて器面全体に細線刻文を施している。これを櫛目文と総称し、朝鮮半島東南部一体に広く分布していることがわかっており特に釜山市郊外東三洞遺跡の土器と類縁関係にあるといわれている。最近中国黄河流域において同種文様の土器が出土して注目されているが河南省裴李岡遺跡から櫛目文土器の祖型とみられるものが見つかっている。細線刻文を施す櫛目文土器の構図が二本線を基調に列点文、平行沈線<ちんせん>文を併用した各種の構図からなる。この土器は一見原始的な文様にみえるが、幾何学的に整備された構図とみてよい。 縄文中期宇佐市西和田遺跡の凹線文土器は凹点文と凹線文が組み合わされて大きくのびのびとした文様を構成し本州中部山岳地帯の豊富な文様の土器と対比される。一方、縄文を地文としてもちい、凹線で入組文や巻文を組合せる土器がある。この土器は凹線間の一部をすり消し「磨消縄文<すりけしじょうもん>」として文様効果をあげている。大分市小池原貝塚は、縄文後期の遺跡として重要であるが、ここの磨消縄文は、やや太目の撚糸を使用して施文した縄文の地文に凹線の入組文を併用し、一部の縄文を磨消して文様構成を効果的にしている。 縄文晩期の大集落として知られる大野郡緒方町大石遺跡から出土する黒色磨研土器は、端正にかたち造られ優れた技法で薄手に製作されている。黒色磨研土器は製作にあたって簡単な轆轤<ろくろ>を使用した形跡があり、器壁はよく研磨して端正な形に仕上げている。焼成にあたっては酸化炎をつけて炭素を器壁の両面に吸収させる方法がとられ、そのために黒色に焼き上る。口縁部は二重口縁をつくり一条〜二条の沈線を施す。口唇部には粘土のリボンを二〜四ヶ所貼り付け飾る。この土器は中国浙江省一帯の良諸文化や湖熟文化などにみられる硬質黒陶の影響とみられ、九州など西日本一帯の縄文晩期土器の特徴とされる。端正な形態とそれに似合った効果的文様の調和は、黒色の地肌とともに洗練された工芸の城に達したものといえる。 第二章 弥生時代へ |
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