| 大分の古代美術 | |
| 仏教美術の華 | 倉田 文作 |
| 第三章 平安時代 | |
![]() 大楽寺如来坐像 ![]() 永興寺兜跋毘沙門天立像 |
(三)都作の仏像 当地方における平安後期の仏像は多彩である。その多くは11世紀末乃至12世紀の制作になるものであるが、先年、文化庁が国東半島を中心とした美術工芸品の総合調査を行った際、すでに重要文化財に指定されているものを含み、100件170躰の仏像彫刻を実査しているが、実にその約半数である50件八五躰が平安後期の作例であったことでもその豊富さが証されるであろう。この総説では、そのすべてに触れるいとまはないが、これらは大きく分類すれば二つのグループとなる。その一は都風の洗練された定朝様ともいうべき入念な制作の一群がまとまって遺存していることと、その二は、一木造りを主とする彫り口があらく素朴な、しかし誰にでも親しまれるような暖かみの感ぜられる一群で、いわゆる地方作風の顕著なものである。 前者は平安時代、天台宗から派生した浄土信仰が全国に普及し、それに伴って都風の仏像の技法や表現が、各地に拡がって行くという平安後期の状況を証するもので、例えば北日本では岩手中尊寺の阿弥陀堂(金色堂)建築と、都風の仏像の一群、福島県平市白水願成寺の阿弥陀堂建築とその中に安置される都風の諸尊像などがその顕著な例としてあげられる。同様に当地方では豊後高田市富貴寺の阿弥陀堂と阿弥陀如来坐像など、同じく真木大堂の諸尊像、宇佐市大楽寺の三尊像などが、まさにそれまで当地方ではみられなかった洗練された優雅な都風をうけての作品として注目されるものである。 富貴寺大堂は九州に依存する唯一の平安後期阿弥陀堂建築として名高い。しかも堂内を荘厳する彩色の壁画も驚く程よく遺り、当代の阿弥陀堂の一典型として極めて貴重なものといえよう。ここの本尊は12世紀前半頃の制作と考えられる等身定印の阿弥陀如来坐像であるが、榧材の寄木造りで穏やかな肉付けによる均整のとれた体躯や、浅く流麗な衣文のさばきなど、まさに都における定朝様の典型的な作例としてみのがすことはできない。 真木大堂には現在丈六、来迎印の阿弥陀如来坐像(檜材)、等身の四天王立像四躯(檜材)、像高2mのなかばを越す巨大な不動明王立像(榧材)と二童子像(檜材)三躯、それに全高が同じく2m半に達する巨大な大威徳明王騎牛像(樟材)の計九躰が現存する。元は夫々別の堂か寺に属していたものかと思われ、各尊の間に作柄や作風の相違があるが、いずれも寄木造りで誠に彫技の手慣れたものである。典雅であるががっしりとした古様を示す阿弥陀如来像、やや形式化の目立つ四天王像、さっそうとした腰高の姿態に安静な趣をたたえる不動明王やユーモラスな動きをおだやかな刀技で的確にとらえた両二童子像、さらには、三面、六臂、六足の異形を鮮やかに温雅にまとめた大威徳明王など、いずれも作者、作風に相違をみせつつ、総じて藤原彫刻の都風を実によく踏襲している。いずれも12世紀の制作と考えてよいであろう。これらのうち特に不動三尊像と大威徳明王像は九州地方における密教彫像の巨像として、又最も秀れた作行を示す遺例として注目される。 宇佐大楽寺弥勒堂には半丈六の如来坐像を中損に、菩薩立像を両脇侍とした三尊像がある。寺伝ではこの中尊は弥勒仏とされている。大楽寺は元弘三年(1333)後醍醐天皇の勅願により創建されたと伝えるので、それよりはるかに遡って12世紀に制作されたと考えてよい。この三尊像は本来この寺のものではなく、宇佐八幡に属する他の古寺に在ったものと考えてよい。この三尊像は夫々檜材を用いた寄木造りで、この技法構造共に当時の都風の手法にかない、表現も典雅流麗なもので、これも定朝様の典型的な作例として注目される。 以上が当地方における都作風の顕著な一群であるが、これらを比較してみると夫々木寄せの細部に個性があり、又作行にも表現にも明らかな相違がみられる。現存の遺例はこの通り多くはないが、おそらく六郷満山を中心とする盛時には、かなり多くのこの種造像例が在ったものと推定される。その制作地は、おそらく都ではなく、当時の都での最も典型的な技法と表現をよく学んだ仏師が、この地で制作したと考えるのが妥当であろう。しかも制作の単一でないところからみれば、宇佐、国東を中心とした都風をよく学んだ進歩的な仏師集団の存在をも推定させ、甚だ興味の持たれることである。 なお、以上の諸像には制作的には及ばず、どちらかといえば次章に述べる地方作に近いものであるが、永久五年(1117)の像内墨書銘を有する毘沙門天立像(像高160cm、樟材、一木造)が、山香町西明寺に現存し、藤原彫刻の当地における一基準作として、大治五年(1130)銘の前述長安寺太郎天神像と共に重要であることをここに指摘しておくこととする。また日田市永興寺の兜跋毘沙門天立像も注目してよい一作である。両足下に踏まえる地天及び二鬼を含む、総高217.2cmの大方を檜の一材から彫出し、躰背面に背刳りを施した一木彫像である。前述の都風の諸像とはやや異なる地方作風がみられるが、その形制は儀軌に忠実であり、浅く穏やかな彫り口を示す佳作として注目すべきであろう。 次項へ 前項へ [仏教美術の華]目次へ |
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