大分の先哲
帆 足(ほあし) 万 里(ばんり)  安永7(1778)年〜嘉永5(1852)年 
 日出で生まれ、脇(わき)蘭室(らんしつ)に入門し、三浦(みうら)梅園(ばいえん)の学風を間接的に継承。京坂に遊学して中井(なかい)竹山(ちくざん)らに学び、広瀬(ひろせ)淡窓(たんそう)や福岡の亀井(かめい)南冥(なんめい)・昭陽(しょうよう)とも親交した。一時は日出藩家老として藩政改革にも尽力したが、職を辞して家塾で子弟の育成に専念し、私塾西A精舎(せいえんせいしゃ)を開いた。蘭学を独習して「窮理通(きゅうりつう)」を著すなど、学問領域は政治・経済・天文・医学など多方面に及び、警世の書ともいえる「東潜(とうせん)夫論(ぷろん)」を記した。門下には毛利(もうり)空桑(くうそう)など多くの人材が輩出した。
◇所蔵史料:帆足万里書簡・帆足万里七絶書・自筆草稿・西A精舎図(複製)など
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