| 大分の先哲 |
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| 脇(わき) 蘭 室(らんしつ) 明和元(1764)年〜文化11(1814)年 |
| 日出で生まれ、熊本の藪(やぶ)弧山(こざん)に学び、三浦(みうら)梅園(ばいえん)とも師弟の親交をもった。大坂に遊学して中井(なかい)竹山(ちくざん)に学び、帰郷後、帆足(ほあし)万里(ばんり)ら近隣の子弟を教えた。一時熊本藩の要請で藩校時習館(じしゅうかん)の訓導(くんどう)となるが、辞して熊本藩領の鶴崎で定詰(じょうづめ)藩士や船(ふな)手(て)の子弟の教育にあたった。門下生に毛利(もうり)空桑(くうそう)らがいる。文化一揆を記録した「党(とう)民(みん)流説(るせつ)」や、「辺備略(へんびりゃく)」「鶴崎夜話(やわ)」などを著している。漢詩文に堪能で国文学や和歌にも通じていた。 ◇所蔵史料:脇蘭室肖像・脇蘭室母肖像・「万葉集写」など |
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