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大分の先哲
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| 矢野竜渓関連人名解説 |
| 1伊藤博文(いとう ひろぶみ) 天保12(1841)〜明治42(1909) 明治時代の代表的政治家。周防(山口県)生まれ。松下村塾に学ぶ。明治維新後は新政府の要職につき、近代化政策を推進した。西郷隆盛や大久保利通の死後は政府の最高指導者となる。国会開設が決まるとプロシア(ドイツ)にわたって憲法を研究し、帰国後は「大日本帝国憲法」の草案を作成。明治18年には内閣制度を創設し、最初の総理大臣となる。 |
| 2犬養 毅(いぬかい つよし) 安政2(1855)〜昭和7(1932) 明治から昭和時代の政治家。備中(岡山県)生まれ。慶応義塾に学ぶ。『郵便報知新聞』の記者として西南戦争に従軍。1時役人となるが、明治14年の政変で下野。翌年立憲改進党に参加し、23年の第1回衆議院議員選挙に当選。以来18回連続当選し、47年間議員をつとめる。昭和4年に立憲政友会総になり、6年には首相となる。翌年、政府に反対する海軍将校による5・15事件で暗殺された。 |
| 3大隈重信(おおくま しげのぶ) 天保9(1838)〜大正11(1922) 明治・大正時代の政治家。肥前(佐賀県)生まれ。明治維新後、新政府の財政政策を担当。国会早期開設論をとなえるが、明治14年の政変で下野。翌年立憲改進党総理となり、東京専門学校(いまの早稲田大学)を創立。21年に外務大臣として条約改正交渉中に爆弾で右足を切断し辞職。31年には板垣退助とともに最初の政党内閣を組織し、首相となる。 |
| 4尾崎行雄(おざき ゆきお) 安政5(1858)〜昭和29(1954) 明治〜昭和時代の政治家。相模(神奈川県)生まれ。慶応義塾に学ぶ。1時大蔵省にはいるが、明治14年の政変で下野。翌年立憲改進党に参加し、23年の第1回総選挙で衆議院議員に当選。以来連続して25回当選。大正時代には憲法にもとづく議会政治を行うための憲政擁護運動の中心となり、「憲政の神様」と呼ばれる。戦後、名誉議員の称号を贈られた。 |
| 5国木田独歩(くにきだ どっぽ) 明治4(1871)〜明治41(1908) 明治期の詩人・小説家。千葉県生まれ。本名は哲夫。東京専門学校に学ぶ。明治26年に矢野竜渓の推薦で佐伯の鶴谷学館に教師として赴任。35年には矢野に近事画報社の編集主任に招かれる。短編集が多いが、大きな自然のなかに人間の姿を見つめる自然主義の傾向がうかがえる作風。代表作は『源叔父』『武蔵野』『春の鳥』など。 |
| 6佐藤蔵太郎(さとう くらたろう) 安政2(1855)〜昭和17(1942) 明治〜昭和時代の小説家、郷土史家。豊後佐伯生まれ。鶴谷と号す。矢野竜渓にともなわれて上京し『郵便報知新聞』の記者となる。矢野の『経国美談』の口述筆記をつとめた。明治十7年には菊亭香水の名で『惨風悲雨世路日記』を発表。多くの新聞の記者を渡り歩くが、35年には佐伯に帰り『日豊新聞』を創刊。また、大分県内の郷土史研究で多くの業績がある。 |
| 7荘田平5郎 (しょうだ へいごろう) 弘化4(1847)〜大正11(1922) 明治時代の実業家。豊後臼杵生まれ。慶応義塾に学ぶ。明治8年3菱商会に入社。会計や通訳などをつとめ、やがて3菱の重鎮となり工業化と財閥化につとめる。東京丸ノ内のオフィス街の開発や長崎3菱造船所の発展にも力をつくした。郷里臼杵の発展を願い、臼杵図書館を建設して寄贈した。 |
| 8坪内逍遙 (つぼうち しょうよう) 安政6(1859)〜昭和10(1935) 明治・大正時代の文芸評論家・小説家・劇作家。美濃(岐阜県)生まれ。本名は雄蔵。東京大学政治経済学科卒。小説で人間の内面を写実的に描き出そうと、明治19年に『小説神髄』を発表。これは画期的な近代小説論として大きな影響をあたえる。文芸誌『早稲田文学』を創刊するなど、日本近代文学の生みの親とされている。 |
| 9徳富蘇峰 (とくとみ そほう) 文久3(1863)〜昭和31(1957) 明治〜昭和時代の評論家。肥後(熊本)生まれ。本名は猪一郎。同志社に学ぶ。明治20年民友社を設立し雑誌「国民之友」を創刊、平民主義を唱える。23年には「国民新聞」を創刊。日清戦争ころから次第に国家主義へ移行。44年には貴族院議員。昭和18年文化勲章受章。 |
| 10福沢諭吉 (ふくざわ ゆきち) (1835)〜(1901) 明治時代の思想家・教育家。豊前中津藩の大阪蔵屋敷で生まれる。長崎で蘭学を学びさらに大阪の緒方洪庵に学ぶ。江戸で塾を開くが、やがて英学に転向する。幕府の欧米への派遣使節に2度加わり、海外での見聞を広める。明治維新後は慶応義塾で多くのすぐれた人材を育てた。代表作『学問のすすめ』『文明論之概略』など。 |
| 11藤田茂吉(ふじた もきち) 嘉永5(1852)〜明治25(1892) 明治時代の新聞記者、政治家。豊後佐伯生まれ。鳴鶴と号す。矢野龍溪の招きで慶応義塾に学び、福沢諭吉の推薦で明治8年『郵便報知新聞』に入社。のちに主幹となる。14年には東京府議員となり、23年には立憲改進党より衆議院議員に当選。著書に『文明東漸史』『済民偉業録』など。イギリスの劇作家シェークスピアを日本に初めて紹介した人物でもある。 |
| 12村井弦斎(むらいげんざい) 文久3(1863)〜昭和2(1927) 明治・大正時代の新聞記者、小説家。3河(愛知県)生まれ。本名、寛。龍溪の採用で『郵便報知新聞』に入社。生涯に60編を超える小説を書き、明治大正期に「当代随一」と言われた人気作家であった。代表作はグルメ小説『食道楽』、『日の出島』など。時代評論にもすぐれ、『報知新聞』の明治34年正月特集「20世紀の予言」には編集総理として関わり、その予言の多くは今日実現している。 |
| 13本山彦1 (もとやま ひこいち) 嘉永6(1853)〜昭和7(1932) 明治・大正時代の新聞経営者。肥後(熊本県)生まれ。慶応義塾に学び、明治15年『大阪新報』に入社。36年大阪毎日新聞社社長に就任。「新聞は商品なり」を持論に、いまの『毎日新聞』の基礎をつくる。大阪毎日新聞の東京進出にともない、39年に竜渓を相談役に招く。 |
| 14森 鴎外(もり おうがい) 文久2(1862)〜大正11(1922) 明治・大正時代の陸軍軍医・小説家。石見(島根県)生まれ。本名は林太郎。東大医学部卒。明治17年より3年間ドイツに留学し、衛生学を学ぶ。帰国後『舞姫』『うたかたの記』などを発表。雑誌「スバル」を刊行し、竜渓作の『浮城物語』に序文を寄せている。龍溪の紹介で大隈重信に会っている。 |
| 5森田思軒(もりた しけん) 文久1(1861)〜明治30(1897) 明治期の翻訳家。備中(岡山県)生まれ。本名は文蔵。慶応義塾に学ぶ。『郵便報知新聞』の記者となり、明治18年、竜渓の外遊先のロンドンに派遣され、翌年いっしょに帰国する。翻訳小説を多く『郵便報知新聞』紙上に掲載。ユゴーの『探偵ユーベル』、ベルヌの『十五少年(十五少年漂流記)』などが代表作。 |
| 16矢野武雄(やの たけお) 安政3(1855)〜昭和13(1938) 竜渓の6歳年下の弟。大学南校(東京大学)に学ぶ。明治13年三田予備校(いまの錦城学園)を創設。この学校は翌年3田英学校となり、長く校主を努め経営の基礎を築いた。17年にはロンドンにいた兄竜渓を尋ねて外遊、翌年いっしょに帰国する。明治23年東京の岩田家を継いだ。 |
| 17矢野光儀(やの みつよし) 文政5(1822)〜明治13(1880) 龍溪の父、佐伯藩士。浦奉行や町奉行を勤め名奉行として讃えられた。明治2年、葛飾県(現千葉県)の知事になり、凶作時に救民のため貯蓄米を放出するなどした。明治4年には深津県(のちに小田県、現岡山県)知事となる。小田県博覧会の開催や「小田県新聞」の発行、公選による県会を開くなど、多くの開放的・開明的施策を行った。 |
| 18李 鴻章 (り こうしょう) 1823〜1901 中国、清朝末期の政治家。社会変革を目ざした太平天国の乱を平定するために活躍し、北洋大臣(中国北方沿海部担当大臣)となって以後日清戦争までの25年間、外交を1手にになった。清への進出をねらうヨーロッパ諸国との協調路線をとり、多大の土地や利権を失い軟弱外交と非難された。日清戦争の講和のために来日し下関条約に調印。 |