おごもり遺跡 ( おごもりいせき)

大分県で最初に発見された方形周溝墓

 おごもり遺跡は、玖珠郡玖珠町大字大隈にあり、玖珠町南方にそびえる 万年山(はねやま) 東麓の扇状台地からのびる舌状支丘の中央部に位置している。また、遺跡の東側200mには、 玖珠川 が国道219号線と交錯しながら流れ、町の中心部は 伐株(きりかぶ) 大岩扇 小岩扇 宝山 などの山々に囲まれた 玖珠盆地 となっている。そしてこれらの山々からのびる丘陵や 河岸段丘 上には、弥生時代から古墳時代の 集落跡 や 石棺群 が確認されている。特におごもり遺跡の北側約400mには、玖珠郡唯一の 前方後円墳 として知られる 亀都起古墳 があり、おごもり遺跡との関係を全く無視するわけにはいかない。
〈おごもり遺跡の発掘調査〉
 おごもり遺跡は、昭和51年(1196)大隈地区県営圃場整備の工事中に石棺が発見された。県教育委員会は、直ちに緊急調査を行い、石棺の周囲に溝をめぐらした 方形周溝墓 であることと、その周辺にはなお多くの 住居跡 や 土壙墓(どこうぼ) などがあることを確認した。このため、遺跡の確認された約7,000uについて工事の中止を申し入れ、さらに工法変更による遺跡の保存を検討した。しかし結果的には、遺跡の保存は困難となり、また地元では工事の早期完了をのぞむ声が強く、開発と保存の難しさが教訓として残された。遺跡の調査は、玖珠町教育委員会が調査主体となり、方形周溝墓のほかに弥生時代終末期の住居跡11軒や 石蓋(せきがい)土壙墓 土壙墓 箱式 石棺(せっかん) などを発掘した。このうち、方形周溝墓の石棺4基については、調査終了後に中央公民館裏庭に移築して保存することとなった。
〈大分県で最初に発見された方形周溝墓〉
 おごもり遺跡の方形周溝墓は、大分県で初めての発見であった。当時、まだ九州での発見例も少なく、遺跡の保存を含めマスコミをにぎわした。方形周溝墓は、工事によって東側の一部がすでに破壊されていたが、溝の外側で南北約18mを測り、南西の隅には約1.5mの陸橋部が形成されていた。溝は、最大幅で1.5m、深さ60〜70pで、溝内より 土師器(はじき) の 壷(つぼ) 甕(かめ) 高坏(たかつき) が多量に発見された。主体部の4基の石棺が発見され、このうち1〜3号棺が長軸を東西にとるが、4号棺は南北を長軸としていた。また、石棺は全て 安山岩(あんざんがん) 板石によるもので、内側には赤色顔料が塗られていた。
 1号石棺は、長さ1.75m、幅45p、深さ65pを測る。床面東側は粘土枕が設けられているが、東西両端より頭蓋骨が発見された。2号棺は、長さ1.85m、幅50p、深さ70pで粘土枕は東側にある。人骨の出土状況から3体の埋葬が考えられる。3号石棺は、長さ1.9m、幅45p、深さ55pで粘土枕は東側にある。4号石棺は、長さ1.9m、幅45p、深さ55pで粘土枕は南側に設けられている。
〈豊富な副葬品〉
 方形周溝墓の主体部は、中央に土壙墓や石棺を設けるが、4基もの石棺が発見された例は少ない。また副葬品も1号石棺より滑石製 勾玉(まがたま) 、竹製 櫛(くし) 刀子(とうす) 、2号石棺は滑石製勾玉 小玉 竹製櫛 鉄剣 鉄鏃(てつぞく) 鋤(すき)先 刀子 鉄鎌、3号石棺より 馬鐸(ばたく) 金環 鉄刀 鉄鏃 鋤先、4号石棺から碧玉製 管玉(くだたま) 鉄剣など多数が発見された。このうち3号石棺から出土した馬鐸は、高さ6.2p、裾部最大長4.7p、幅2.3pを測り、馬の飾りに用いられた音の出る青銅製品である。 裾(すそ)広がりの扁円筒形の身をもち、上部に1孔をうかがったた半環状の 鈕(ちゅう)がある。高さ6.2p、裾部最大長4.7p、幅2.3pである。また、鐸身の両面に布目痕が付着しており、布に包んで副葬したことも考えられる。特徴的には、古墳時代後期にみられる一般的なものとは異なり、むしろ対馬や朝鮮等で発見されている弥生時代の馬鐸と共通する点もうかがえる。
〈方形周溝墓に葬られた人物は〉
 おごもり遺跡の方形周溝墓は、出土した土器や副葬品から5世紀中ごろから後半の年代が考えられる。そしてこの発見以後、大分県では中津市 勘助野地遺跡 竹田市 塚園遺跡 宇佐市 川部 高森遺跡群 直入町 牧ノ原遺跡 など各地で発見例が増えた。このうち、川部 高森遺跡群の 赤塚古墳 周辺では、赤塚古墳と前後する4世紀前半代のものが発見され、これが今のところ大分県では最古に属する。その他は、4世紀後半から5世紀代のものが多く、6世紀になると姿を消す。また、この方形周溝墓に葬られた人物は、その地域の有力者であることに間違いはないが、高塚の古墳を築造するまでには至らなかった人々である。しかしおごもり遺跡の方形周溝墓には、副葬品の豊富なことと周辺に5世紀代の古墳がないことから、亀都起古墳造営前の大隈地域で水田経営を積極的にすすめた一級の支配者であり、4基の石棺に葬られた人々はその一族と思われる。
 参考文献 玖珠町教育委員会『おごもり遺跡調査概報』
[渋谷 忠章]

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