御田植祭 ( おたうえまつり)
田植えをまねて豊作祈願
御田植祭とは、田植えなどの農作業をまねて、その年の豊作を祈る神事芸能。その多くは田遊びの系統である。田遊びは稲の豊作を 予祝(よしゅく)する行事から発達した芸能で、鎌倉初頭には行われていた。社寺の境内を水田とみなし、老夫婦 田主 早乙女(さおとめ)などが田打ち 代掻(しろかき) 鳥追い 刈り上げなどの農作業を模擬的に演じて、秋の 豊饒(ほうじょう)を祈ったのである。また、御田植祭は 田楽(でんがく) 田植風流(たうえふりゅう) 延年(えんねん) 猿楽 狂言等の中世諸芸能からも影響を受けている。
九州では北部と南部に集中して御田植祭が分布する。県下には12か所の御田植祭があり、6つに分類できる。
@田遊+狂言系 杵築市 奈多(なだ)八幡社 (4月9日
杵築市若宮八幡社 (4月初卯
)安岐(あき)町)諸田山(もろたやま)神社 (旧正月15日
A田遊系 香々地町)別宮(べつぐう)八幡社(7月29〜30日
国見町城山八幡社 (9月11日
国見町)武多津(たけたづ)社 (10月8)9日
B)修験松会(しゅげんまつえ)系 耶馬渓(やばけい)町 檜原山(ひばるやま)正平寺(4月15日
三光村八面山大日寺(廃寺)
C神事系 宇佐市宇佐神宮 (7月26日
国見町櫛木岩倉社 (旧正月初丑
D田遊+神事系 日田市大原八幡社 (4月15日
E))雨乞(あまご)い)芝居系 三重町川辺地区(廃絶)
)宇佐神宮 の御田植祭は県下最古の創始伝承を持ち、保安4年(1123)に始まるという。 農具 は水守の持つ 鍬(くわ)だけで、牛による代掻きもない。芸能的要素の乏しさと農具の単純さは、この祭の古式さを示していると思われる。
岩倉社 の 籾蒔(もみまき)神事では、的打ちの後に籾を斎田にまく。長さ約1mの木製のカギでモミを桜の木にかけ、うまくかかると、その年は豊年だという。原始的なカギ状の棒(鍬の象徴か)が用いられ、種まきだけの素朴な神事は、御田植祭以前の神事を伝えている可能性もある。
大原八幡宮 では田遊びの要素が加わる。種まきや田打ちはないが、牛に犂やモーガをひかせる。『 英彦山松会(ひこさんまつえ)絵巻 』の御田の歌と同じ歌詩の「田歌」が田まわりで歌われ、 英彦山 の影響も考えられる。 田長(たおさ)が 翁(おきな)面をつけるのは九州では他に例がなく、猿楽との関連も推測できる。
英彦山を中心とした豊前地方には、 山伏(やまぶし) たちが執行した修験松会系統の御田植祭が分布する。桧原山 正平寺 では、 常楽会(じょうらくえ) 檜原松(ひばるまつ) 松役(まつやく)とも呼ばれ、御田植祭に先立って、松会が執行された。約4間の高さの松柱を立て、僧が昇り、頂上に御幣を立て、幣切りなどの修法を行った。松役では、竹製のミササラ(御簓 拍板のこと)を腰に付けていた。これは田楽の影響だろう。
大日寺 は、修験松会系統の御田植祭が執行されていた。
川辺地区の「御田植」は雨乞い芝居で、昭和初頭に消滅した。肥後 阿蘇神社 の御田植祭を伝えたというが、その影響は認めがたい。「代つき田植の段」は狂言の影響を強く受けているが、全体の構成は 歌舞伎(かぶき) 芝居である。九州では他に例のない特殊な御田植祭だったといえよう。
別宮八幡社 櫛来城山八幡社 武多津社 の御田植祭は田遊び系統である。別宮八幡社では代掻き 畔(あぜ)塗り 代均し 田植え等が行われる。武多津社では、田打ち 代掻き 種まき 田植 ウナリを演ずる。ウナリは弁当持ちだけで、子生みの所作はない。城山八幡社では田打ち 畔塗り 代掻き 代均し 田植 昼飯持ちを演ずる。種まきがないが、昼飯持ちの出産はある。
諸田山神社 奈多八幡社 若宮八幡社 の御田植祭は、田遊びに狂言の要素が加わっている。大蔵流「御田」と和泉流「田植」の内容は同じで、能楽「加茂」の間狂言として、加茂別雷神社の神田の田植を演じたものである。 奈多八幡社では、神歌 柄振り 田植 昼飯持ちを演じる単純な構成だったが、戦後代掻きが加わった。若宮八幡社では種かるい夫婦の杯事を加えて、代掻き 種蒔き 柄振り 苗配り 田植 昼持ちを演ずる。
文政4年(1821)奈多八幡社の社家が御神田哥(狂言の詩)を諸田に伝授した。諸田山神社では、 鍬(くわ)取り 柄振り 苗運びが加わり、最初に的打ちの神事が行われる。
ウナリは重要な意味を持つ。仁治3年(1242)の京都加茂神社の神田の田植の後の余興に「をなり(昼飯持ち)」と「はね牛」が演じられた。武多津社の昼飯持ちもウナリと呼ばれ、阿蘇神社の御田植祭神幸の 宇奈利(うなり)(昼飯持ち)行列は有名である。諸田では、はらみ女(ウナリ)が弁当を神田まで持参して、田の傍らで出産する。後ろの帯に挿したシャモジを取ろうとした時、老人役の種まきに助けられ、肩越しに差し出した手の中に入れてもらうのは、性行為を暗示する。御田植祭とは基本的に豊作を祈願した神事芸能である。日本人は、人間の生殖行為の所作を田で見せることにより穀霊を挑発し、稲の生殖を促せると考えた。これは一種の類感呪術なのである。
[段上 達雄]
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