小鹿田焼 ( おんたやき)
土と炎の実用の芸
二豊の地にあった陶芸で最古のものは 佐伯焼 。慶長17年(1612)の 佐伯藩史料 にその名を留めるので、初代藩主 毛利 高政(たかまさ) の時代である。閉窯も早いのか実態不明の幻の窯。他の窯は江戸中期以降で、 小宛(おあて)焼 は 岡藩士 横山甚助 が長崎の亀山焼を伝承、文化3年(1806)に開窯。藩窯となるが一時中止、文化12年に 田能村竹田(たのむらちくでん) らが再開、そのため 豊後南画 の染付絵のすぐれたものも伝承、明治7年(1874)に閉窯。 末広焼 は 臼杵藩主 稲葉 弘通(ひろみち) が隠居後風流の楽しみに御庭焼として開窯したものであろうというが、文化12年(1815)に早くも閉窯。他に 丸山焼 (臼杵、幕末開窯、明治15年閉窯)、 深江焼 ( 日出(ひじ)、江戸中期か)、 萩尾焼 (日出、文化期か)などの名を留めているが、短命で不明。この中にあって300年近い歴史を伝えるものは小鹿田焼のみである。
〈小鹿田焼の創始と変遷〉
小鹿田焼の開窯は宝永2年(1705)のことという。日田郡鶴河内村柳瀬の 黒木十兵衛 が資本を、同村小鹿田の庄屋 坂本家 が土地を、筑前朝倉郡 小石原(こいしわら)村の 柳瀬三右衛門 が技術を提供して創設。柳瀬家の先祖は13世紀の後半から小石原に住み、三右衛門は16代目という。小鹿田焼は小石原高取系の陶芸である。間もなく三右衛門は西山高取(博多西皿山)の頭取を下命され、長男勘兵衛と共に経営(次男三次が小石原を継承)、三男文作が小鹿田を継承。文化14年(1817)なお3軒、弘化4年(1847)8軒、明治38年(1905)11軒、のち9軒が半農半窯。今日は10軒が窯業専業(昭和46年から専業化)。この小鹿田焼が世に広く紹介されるのは、民芸運動の父 柳宗悦(やなぎむねよし) による。柳は昭和6年4月に 皿山 を訪問、「最も進んだ科学が産むものより、兎に角美しい」民芸小鹿田焼を後に『日田の皿山』で紹介(25年に再訪)。昭和29年4月には柳は浜田庄司、河井寛次郎と共に英人 バーナード リーチ を案内、3週間滞在し小鹿田焼の陶技を研究。その間マスコミは大きく取り上げ、小鹿田焼は急に脚光をあびるようになった。(リーチは39年10月に大原総一郎、浜田庄司らと再訪)。詳細はリーチの『日本絵日記』参照。
〈小鹿田焼の陶技と特色〉
陶土は付近の山から採土、乾焼させたものを川の流れを利用した 唐臼(からうす)(うさぎギネ)で10〜15日間粉砕(唐臼は小鹿田のみに見られる民俗文化財)。粉砕した陶土は窯元の庭先にある2〜3段の土こし船(水槽)で純化、底にたまった良質の陶土はオロで水気を切ってから天日乾燥、日影脱湿をし、 蹴(けり)ロクロで成形。小物に限って昭和35年から4分の1馬力のモーターを補助使用しているが、蹴ロクロによる成形の伝統を継承。製品は実用品で 壷(つぼ) 甕(かめ) 鉢 皿の類から茶 碗(わん) 湯呑 花立 徳利(とっくり)など多様。以前は大物が中心であったが、近年の生活様式の変化に伴って小物製作が増加する。成形したものは乾燥し、伝統技法で装飾。 刷毛(はけ)で波状の模様を打ち出す刷毛目文、時計のゼンマイなどを利用して陰刻模様を打ち出す飛カンナ文、松木などの年輪目を利用して作る 櫛(くし)目文、人差し指でジグザグ曲線を描く指描き文、部分または全体に小さなヒシャクで 釉薬(ゆうやく)を掛ける打ち掛け、ロクロを回しながら竹筒に入れた釉薬を上から下へと掛けて模様化する流し掛けなどの技法がある。ただし寺川泰郎によると「小鹿田焼の特色とされる 飛鉋(とびかんな)と皿に打刷毛を施すことは意外に新しい時代のもので、飛鉋は大正末期に、皿に刷毛目を打つことは昭和7年に日田郡大鶴村の医師 井上巻之 が陶工 黒木浜吉 に試みさせて始まったと伝えられている」という。釉薬は自家製で長石、サビ石、木灰、ワラ灰、赤金、白土の調合法は秘伝。調合によってフラシ(透明)、白ナダレ(白色)、青フラシ(薄緑色)、せいじ(濃緑色)、 真黒(しんぐろ)(黒色)、黄ナダレ(濁黄色)、ドーケ(斑飴色)、 地釉(じぐすり)(飴色)がある。装飾が完了すると焼成。創立以来、共同窯(登り窯)で本焼をしていたが、後に個人窯が築かれ、現在は共同窯1基(8袋)と個人窯5基で焼き続けている。個人窯は黒木力窯(昭和10年 4袋)、小袋遊喜窯(同23年 5袋)、坂本晴蔵窯(同37年 5袋)、坂本義孝窯(同45年 4袋)、坂本茂木窯(同46年 4袋)。焼成時間は共同窯で約40時間という。窯焚きは年6〜7回であり、小物の増加で棚積みを始めている。
〈伝統の陶技を守る小鹿田〉
小鹿田焼は昭和32年に県指定 無形文化財 に指定。工芸技術の部では県下唯一の無形文化財。45年に国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択される。略称国選択無形文化財。その小鹿田焼は庶民が日常使う実用雑器、時代風潮に泰然とし、あせらず今も水車の唐臼(多くは三連装)で粉砕、蹴ロクロで成形、伝統技法を継承し、健康的で素朴、力強い民陶品を産出している。
参考文献 梅木秀徳『小鹿田焼−やきものの村』 大分県教育委員会編『小鹿田の伝統と陶技』
[後藤 正二]
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