大分県教育会 ( おおいたけんきょういくかい)

大分県教育推進の原動力

 本会の創立は明治18年(1885)、最初は 大分県共立教育会 と称したが、明治26年に大分県教育会と改称した。その後昭和19年(1944)6月には本会を発展的に解消して、 大日本教育会大分県支部 と改称し、同年11月に大日本教育会大分県支部維持厚生財団を設立した。戦後の昭和22年3月に会名を社団法人大分県教育会と改めたが、翌23年11月30日に清算を完了して解散した。このとき昭和22年に大日本教育会大分県支部維持厚生財団を大分県教育会維持厚生財団と名称変更し、翌年には「厚生」の2字を削除して、大分県教育団体維持財団と改め、同24年には財団の所有する 大分県教育会館 の運営を円滑に行うために、大分県教育会館運営委員会が設置され、 大分県教職員組合 が中心となって大分県教育会の諸事業を引き継いだ。こうして65年間にわたり本県教育推進の原動力となった本会は発展的に解消したが、その軌跡は699号におよぶ月刊雑誌『 大分県教育 』(昭和19年8月終刊)に詳しい。また、本財団が教育会館創立35周年記念事業として発行した『 大分県教育会史 』(昭和44年刊)は、その集大成である。
機関誌発行(明治18年1月号から昭和19年8月号まで)。
総会 毎年1回。臨時会もある。
講習会  教員養成のための長期講習会  研修のための講演会  社会教育講演会  別府夏季大学講習会(大正9年から昭和17年まで毎年開かれた)。
郷土偉人の顕彰(「大分県六大偉人」として 三浦 梅園(ばいえん) 、 田能村竹田(たのむらちくでん) 、 広瀬 淡窓(たんそう) 、 帆足 万里(ばんり) 、 福沢諭吉 、 広瀬武夫 を撰ぶ)。
図書編集(夏休の友、大分県農業教科書、大分県補修読本、大分県作文教科書、新定小学唱歌、各種の学習帳など)。
選定事業 理科 国史 地理の各学習帳、学級経営録。
調査会 教育会館建設、基本財産増加、学術改革案。 教育研究奨励 体育奨励、懸賞論文や歌詞募集など。 教育功績者および善行者表彰。
各種の教育会へ会員を派遣。
学事視察員の派遣(満州 台湾へも派遣した)。
戦時中の銃後後援活動、軍用機の献納(大分県教育号)。
 つぎに大分県教育会が行った建設事業をみると 教育会館の建設  盲唖(もうあ)学校 経営と県立移管  福沢記念図書館 と県立移管  大正記念館の建設  福沢記念独立自尊碑建設などが主なものであった。また、本会では工業学校や高等女学校、女子師範学校などの 県立学校 を建設するよう発議し、促進するよう運動して実現させている。これは、本会が明治18年の創設以来 終戦 まで、県行政と表裏一体の関係にあったからである。すなわち初代会長 西村 亮吉(りょうきち) は大分 県令 で、以後は歴代の知事 内務部長が会長に推載されることが多かった。したがって、本会の事業を推進する上では好都合であったが、反面行政官庁からの制約も受けやすかった。戦前の教育行政は勅
令主義による中央集権を貫徹していたから当然でもあった。しかしながら機関誌『 大分県共立教育雑誌 』『 大分県教育雑誌 』『大分県教育』(通巻699号)には、明治 大正 昭和初期にかけての教育思潮や教育実践の記録、各市郡教育会の動向など本県教育界の変遷が詳細に盛られており、児童 生徒の訓育に精進した教師像も読み取れるのである。昭和19年7 8合併号を最後に廃刊となった機関誌の刊行が本会活動の根幹であったのは言うまでもない。敗戦後の昭和21年12月に大分県教育会は復活したが、戦後の混乱と県下教育界の動揺の中で機関誌は復刊されないまま昭和23年2月に解散した。したがってこの間の事情は『大分県教育会史』を参照されたい。
 ところで、現在は所在地が変わり近代建築に生まれ変わっているが、本会の二大遺産ともいうべき建設事業は、福沢記念図書館と大分県教育会館の建設であった。前者は福沢諭吉を顕彰するため明治35年大分市に設置、同37年新築、大正11年に現在の県立図書館の場所へ移転した。昭和6年県立に移管した際「福沢記念」の名称を改め、 大分県立図書館 としたが、建物は戦災で失われた。蔵書は疎開により焼失を免かれた物が現存している。後者の教育会館建設が決議されたのは昭和7年2月であるが、これは前年の県教育会第52回総会における「教育擁護宣言」をうけたものであった。教職員5か年の拠出金と県内外よりの寄付金を得て、総工費17万2,650円、鉄筋コンクリート造4階建の高層ビルが完成。落成式は昭和7年11月5日。建設と祝賀行事については『大分県教育』(579号)に特集してある。最後に、大正9年より始め昭和17年まで毎年開催された「 別府大学会 」は、全国的に有名な権威者を講師に招き、県内はもちろん全国から聴講者を集めていた本会の主要事業であった。
 参考文献 大分県教育団体維持財団『大分県教育会史』
[小玉 洋美]

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