姫島黒曜石 ( ひめしまこくようせき)
石器時代の大分県の特産品
火山ガラスとも呼ばれる 黒曜石 は、石器時代における主要な 石器 材料である。とくに我が国は、世界有数の 火山 国であるところから各地で良質の黒曜石が産出し、古くから石器の材料として大いに利用されてきた。 緻密(ちみつ)で硬い黒曜石は、石器材料としては最も優れたものであり、 国東半島 の沖に浮かぶ 姫島 は、その黒曜石の一大産地である。
黒曜石は、世界的に見ると、エーゲ海メロス島、トルコ東部、アメリカイエローストーン公園、南太平洋アドミラルティー諸島等が有名である。なかでもメロス島産の黒曜石は地中海沿岸部に、トルコ東部産のものは中近東一帯に広く石器母材として供給されている。日本では、北海道白滝、同十勝地方、伊豆諸島神津島、長野県和田峠、同星ヶ塔、島根県隠岐島、佐賀県腰岳、鹿児島県出水地方等で産出が知られている。
〈姫島黒曜石の特徴〉
姫島は、佐賀県腰岳と並んで九州地方における黒曜石の二大産地である。姫島における黒曜石は、島の西北部にあたる 観音崎 地区に産出する。観音崎にある千人堂一帯は、黒曜石の断崖となっており、大分県の天然記念物に指定されている。この地区の黒曜石は露岩の状態で、崖面の上部はシロと呼ばれる白濁したもの、下部はネズと呼ばれる透明度のある黒灰色のものに分けられる。下部のものはさらに海面下にもつづいており、その産出量は尨大である。また岬の周辺には、露岩から崩落した転礫状の黒曜石が多く産する。
姫島黒曜石は他の産地のものが一般に名の示すとおり黒色系であるのに比べ、乳白〜灰色で容易に見分けしやすい。しかも表面の風化(水和層の形成)がほとんど進まず、新鮮な割れ口を保持しているのが特徴である。遺跡から他の黒曜石と混じって出土しても、肉眼で直ちに姫島黒曜石が選別できる。
姫島では黒曜石とは別に、ガラス質 安山岩(あんざんがん) と呼ばれる緻密な石材が島の東部と西端部に産出する。これも石器材料として良質のものであり、旧石器、縄文時代を通じて黒曜石と同様大いに利用されている。むしろある時期には、黒曜石よりもこのガラス質安山岩の方がより多く使用されている。黒曜石の影にかくれているが注目してもよい主要な石材であるという特徴をもっている。
〈分布と供給ルート〉
姫島は西瀬戸内海のほぼ中心の位置にあり、海上交通上きわめて重要な存在となっている。これは、物質の海上輸送の面では、大きい利点である。実際に姫島黒曜石は、西瀬戸内地方一円の遺跡から出土しており、瀬戸内海という動脈を介して広い範囲に供給されていることがわかる。縄文時代を例にとれば、大分県内はもちろんのこと、遠くは岡山県津雲貝塚をはじめとする瀬戸内沿岸部、中国山地の島根県九郎原遺跡、広島県帝釈峡観音堂遺跡などにまで運ばれている。また四国地方では、高知県 四万十(しまんと)川流域や南伊予地方の遺跡には濃密に供給されている。
それでは、姫島黒曜石はどのような手段で各地にもたらされたのであろうか。そのことを考える好例として、おびただしい量の黒曜石を出土した国東町 羽田遺跡 が注目される。縄文時代前後期の 砂丘遺跡 である羽田遺跡を発掘したところ、実に40sを越える姫島黒曜石が出土した。ここでは、10sを越える黒曜石原石をはじめ、大形の 剥片(はくへん)が多数密集して発見された。その量は、一つの遺跡での消費量をはるかに越えるものであり、石器材料の中間供給基地であったと推定される。おそらく、姫島から海岸の羽田遺跡にもたらされた黒曜石の大塊が、そこで荒割りにされ、適当な大きさの素材として、さらに国東半島の内陸部の遺跡に運ばれたと思われる。同様に、縄文前期の山香町 スクボ遺跡 は 安心院(あじむ)方面へ通じる峠に位置するが、ここでも姫島黒曜石の大型石核が出土している。この遺跡についても、中継基地的な性格が考えられる。
羽田遺跡の場合、距離的にも姫島に近い海岸にあるため、海上を舟による運搬手段によって比較的容易に運ばれたと思われるが、スクボ遺跡の場合はさらに遠く、内陸の山地にまで重量のある原石を運ぶことは、相当に苦労が伴うことであったと思われる(清水宗昭「交易」『大分県史』先史篇T)。
姫島黒曜石は、後期旧石器時代から弥生時代に至るまで、実に2万年に及ぶ長い期間にわたって西日本一帯の主要な石器の素材として利用されてきた。その供給された範囲をみると、瀬戸内海の海岸部はもちろん、交通手段の困難な内陸部にまで及んでいることがわかる。このことは、姫島黒曜石が、当時の人たちにとっていかに重要な必需品であったかを物語るものである。
[清水 宗昭]
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