大分県地域婦人団体連合会 ( おおいたけんちいきふじんだんたいれんごうかい)
女が変われば世界が変わる
〈成立過程 性格〉
大分県地域婦人団体連合会(県地婦連)は昭和41年(1966)4月、 大分県婦人団体連絡協議会 (県婦連)が規約を改正して設立したもの。戦後旧 大日本婦人会 幹部を中心として結成された 大分県連合婦人会 (昭和21年11月発足、会長 成清静子 )、 占領軍 民政部指導下結成の 大分県婦人協議会 (同23年5月発足、会長 山本コト )が誕生、25年二者を統合、 大分県婦人団体連絡会 (理事合議制)となる。理事 岩久ツナ (大分市) 佐藤テイ (大分郡) 甲斐コウメイ (別府市) 河野登代 (宇佐郡) 渡辺久代 (南郡。27年に理事長制を導入、初代理事長岩久ツナ。昭和29年大分県婦人団体連絡協議会と改称。組織の民主化 財政の自主化 行政機関からの独立がはかられ、昭和20年代から30年代前半にかけて、農村の封建制打破、生活の合理化、公明選挙推進 生活擁護 反戦 平和等の諸運動の大きな軸となったが、文部省の婦人学級育成強化や、自主的グル−プの活発化、農協婦人部の設立の行われた 高度成長期 前後から、その網羅性のため衰退。行政当局との関係も新しい段階をむかえた。
〈敗戦直後の婦人会再編〉
戦前 戦中の 婦人会 は、 敗戦 によって解体。昭和20年10月ころから翌年にかけて県下市町村に次々と婦人会が再生。行政当局、識者、新聞などが、当面する食糧や塩危機、食糧供出不振、占領化の道徳の退廃、家庭生活の混乱に対して婦人の力を動員、円滑化をはかろうとしたもの。再建された市町村婦人会を基盤に旧大日本婦人会幹部成清静子、 長田シズ 、佐藤テイ等が大分県連合婦人会を発足させた。
〈占領軍民政部の指導、介入〉
大分県連合婦人会設立の目的は、旧大日本婦人会大分支部幹部が、占領軍の圧力のかからない前に、既成事実として独自的婦人団体を作っておくことにあった。また、戦争協力団体の財産として接収されていた旧 愛国婦人会 所有地の返還、大日本婦人会大分支部の基本金の回収の件もあったという(『地婦連二十年の歩み』)。成清 佐藤 長田らが再三軍政部や県社会教育課と折衝、その返還を迫った。民政部や県社会教育課は戦時中の指導者による婦人団体の再建を非難、各種集会 講習会から排除、これと対抗するものとして 大分県婦人協議会 を山本コト等に作らせた。民政部は個人を基礎におく趣味同好会の連絡調整機関としての婦人組織を構想したが、当時大分県には根づく基盤がなかった。 県連合婦人会 は、22年の第1回地方選挙に理事佐藤テイ(大分郡) 長田シズ(大野郡)が県議に当選。町村議会にも県連合婦人会色のつよい議員が多く当選。同24年には第1回県大会を開催、「自己の民主的教養に努力」 「生活経済の工夫改善」等のスロ−ガンを掲げ、「主婦の店」の運動等を展開した。昭和25年現在県連合婦人会会員数8万人、婦人協会150人(25年版『女性年鑑』雄文社)。軍政部婦人担当官 デニス の指導、介入は婦人団体に不毛な対立と混乱を残した。活路を与えたのは県教組婦人部(部長 村上あや )のよびかけで開かれた県下はじめての婦人大会であった。23年4月10日はじめての婦人週間の初日、大分市各校区婦人会 PTA 桜楓会友の会 新婦人同盟 勤労婦人同盟等の関係者が集まり、どうすれば各婦人団が手をつなぎ、明るい民主的結束ができるかを協議した。民政部も連合婦人会と婦人協議会の統合を示しはじめ、25年4月10日「生まれかわった民主的団体」として県婦人団体連絡会が発足(渡辺克巳「大分県婦人運動史戦後篇78」『婦人大分』昭和30年)。
〈最盛期の活動〉
昭和20年代後半、30年代前半の県婦連の活動は、大分県女性史に特筆すべきもので、その主な活動をあげると、26年電灯料金地域差撤廃要求運動。大分市婦連の公益事業委員会に対する異義申し立てが東京の聴問会で採択された。27年県婦連、県未亡人会結成に助力。玖珠郡野上町(九重町)婦人会長公選、600名が投票。28年、県婦連、前年の文部省社会教育局通牒(寺中通牒)を無視、公明選挙運動を独自に進めると申し合せる。29年、第二福竜丸乗組員の出身地 保戸島(ほとじま)婦人会 から原水爆製造使用反対運動がおこり、県婦連、23万7,619人の署名をもって抗議。県婦連黄変米配給への抗議運動。選挙法の連座制強化、家族制度復活反対運動。農村の封建制打破、生活改善運動。30年、大分市婦連、政治結社の届け出をし、県議岩久ツナの再選運動をする。 売春防止法 促進運動。原水爆禁止世界大会参加。県母親大会の主催団体となる。31年、別府市婦連、自衛隊駐屯地反対の態度を決める。他団体と協同、教員異動の性差別に県当局へ陳情、県教委案を後退させる。この時期の特徴は、労働組合婦人部 大学婦人協会 桜楓会友の会 助看保会 青年団 等の協力関係が緊密であった点にある。
[古庄 ゆき子]
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