大友能直領 ( おおともよしなおりょう)

厖大な所領の実体は?

  鎮西一方(ちんぜいいっぽう)奉行 、中九州後三か国(筑後 肥後 豊後) 守護 職(しき) を兼帯した 大友 能直(よしなお) の所領 所職(しょしき)。能直は正妻 風早禅尼(かざはやぜんに) 深妙(しんみょう) 及び 妾(めかけ)との間に男子12人、女子3人計15人の子女をもうけた。当時の武家の相続制度はは分割相続であったから、妻を加えたこれら多数の子女に分譲した所領は相当なものであったと思われる。ではその所領は具体的にどんなもので、それはどうして取得し、どのように処分されたであろうか。
〈判明する能直の分譲所領〉
 能直が自ら獲得した所領で最も早いものは、文治5年(1187)奥州藤原氏征伐の功で得た奥州内某所地頭職であるが(『 吾妻鏡(あずまかがみ) 』)、その所在地及び 顛末(てんまつ)等は全く不明である。彼が子女 妻等に処分した所領がわかれば、その所領の全体像や取得方法が推定可能となるが、今日その中核をなす嫡子 親秀(ちかひで) 分は多く不明で、わずか数人の庶子分と妻深妙分が分かるだけで、のちの大友惣領家所領と併せて推定する以外はない。
次男 詫磨能秀(たくまよしひで) 分 貞応3年(1224)能秀が父能直から譲与された所領は、次の通りである(「 詫磨文書 」)。
1 ○肥後国神蔵荘(付木部 鳥栖等)地頭 下司(げす)職
○同国飽田郡内真三大夫 沙汰(さた)惣社敷地内屋敷 在家免田散在名田畠黒石原
○同国大野別府内尾崎村
○同国鹿木東荘内橘村并五郎丸南山室村地頭加治尾名
八男 志賀 能郷(よしさと) (仁王丸)分 貞応2年能郷が父能直から譲与された分は、次の4所。
1 ○豊後国国東郡 安岐(あき)郷 横城(よこぎ)山 院主(いんず)職
○同国同郡安岐郷 諸田(もろた)名 地頭職
○同国同郡 夷(えびす) 長小野(ながおの)地頭職
○同国大分郡 勝津留(かちがづる) 地頭職
妻深妙に対する譲与分 次の2所である。
1 ○豊後国大野郡 大野荘 地頭職
○相模国足上郡 大友郷 地頭郷司職
この2所は、のち深妙は大友郷は嫡子親秀に、大野荘は7人の子女に分譲した。大友郷内の屋敷は、のち 大野 基直(やすなお) 志賀 泰朝(やすとも) 詫磨能秀 一万田時景(いちまんだときかげ) に鎌倉の宿所として分与した。
帯刀時直(たてわきときなお) 譲与分 「 郡正敏文書 」により判明。
 ○豊後国速見郡 石垣 弁分(べんぶ) 地頭職
鷹尾 秀直(ひでなお) 譲与分 「 鷹尾文書 」により判明。
1 ○筑後国 山門(やまと)郡 瀬高上荘(せたかかみのしょう)内鷹尾 別符(べっぷ)一在 倉光両名地頭職
2代親秀が能直より譲得し嘉禎2年(1236)三男観音丸( 田北親泰(たぎたちかやす) )に譲与したもの(『 大友家文書録 』)。
1 ○豊後国直入郡 田北村 地頭職
○同国速見郡 日差(ひさし)荘 地頭職
○肥後国益城郡甘木荘内(一楽 真万 秋永名 津留木村等)地頭職付税所公文 国侍所司職
○同国同郡豊福荘内(久具十郎 同三郎領付焼米小藤次名)地頭職
南北朝期 大友 氏時(うじとき) 親世(ちかよ) 所領から推定しうるもの。
1 ○相模国三浦長坂郷
○豊後国大野郡 緒方荘 地頭職
○同国直入郡 直入郷 地頭職
○鎌倉 亀谷(かめがやつ)藤谷敷地一所(先祖墓所宿所地等)
○京都佐女牛大和大路屋地6か所
○同大谷地2か所(先祖墓所宿所地等)
京都 鎌倉の地所は能直が養父 中原親能(なかはらちかよし) から譲得したもの、緒方荘 直入郷等は 緒方 惟栄(これよし) 直入三郎 等の 没官(もっかん)領を親能から譲渡されたものと推定される。
 以上集計しても22か所に過ぎない。庶子1人分は4か所平均であり、早世者を除いても30か所近く、女子3人と嫡子親秀分を合わすれば、倍にも達するであろう。
〈能直の所領取得について〉
 これだけの所得を、能直はどの様にして獲得したか。
源 頼朝(よりとも) 及び幕府恩賞地 奥州某所地頭職は豊後国内に替地を給わったのではなかろうか。そのほかにも恩賞地給与の可能性がある。
親父中原親能より譲得分 京 鎌倉の屋地 墓地や相模国大友郷 豊後国大野荘等。守護職付帯の所領 所職の存在も考えられる。
在地領主の所領寄進 肥後国鹿木東荘の領主 行西(ぎょうせい)が、能直を「主君と 憑(たの)み奉り」所領を寄進した。
猶子(ゆうし)(養子)を条件に弾圧的譲得 志賀仁王丸(能郷)を猶子にする条件で 備後僧都幸秀(びんごそうずこうしゅう) から譲得した志賀家領。
養子政策 在地領主の家を 嗣(つ)ぎ所領 家臣を獲得する方法。 戸次(べっき)氏 野津原氏 の場合がこれである。
所領 所職の買得 勝津留 弁済使(べんざいし)職は能直夫妻が買得して志賀能郷に譲与したものである。
借上(かしあげ) 質券(しちけん)  田原 泰広(やすひろ) は借上 質券により 田原 別符(べっぷ) を獲得した。こうした場合の存在の可能性がある。
横領 玖珠郡 大隈村 は、正安年中 大友 頼泰(よりやす) が横領したとある(「 醍醐寺(だいごじ)文書 」)。能直時代も例外ではあるまい。
 参考文献 外山幹夫『大名領国形成過程の研究』 渡辺澄夫『増訂豊後大友氏の研究』
[渡辺 澄夫]

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