大分県警察本部 ( おおいたけんけいさつほんぶ)
捕亡吏から警部・巡査の警察へ
〈福沢諭吉と近代警察〉
明治初年、東京の治安維持の責務は、 藩兵 、次いで府兵という警察軍が担っていたが、社会情勢が落ち着くに従い、新しい 警察制度 を取り入れる必要に迫られた。そこで、政府高官から意見を求められた 福沢諭吉 は、アメリカから持ち帰っていた文献から欧米諸国の警察制度について翻訳をし『 取締之法 』としてまとめて提出、その報酬として入手した三田の土地に建てられたのが 慶応義塾 である(『 福翁自伝 』)。この『取締之法』に刺激された政府は、府兵を廃止して明治4年(1871)10月、東京府に 邏卒(らそつ)3,000人を置き、これが近代警察の基礎となった。
〈大分県の成立と捕亡吏 邏卒〉
明治4年、廃藩置県が行われ大分県が成立。翌年3月には、県庁に庶務 聴訴 租税 出納の4課が設置された。この中の聴訴課が警察事務を取り扱うこととなったが、聴訴課は処務条例で「県中ノ訴訟ヲ審聴シ、其ノ情ヲ尽クシ長官ニ具陳シ、及ヒ県内ヲ監視シ罪人ヲ処置シ捕亡ノ事ヲ掌ル」とされ、司法警察事務のほか民事 刑事裁判も扱っていた。この聴訴課に 捕亡吏(ほぼうり)20人が配置された。ところが、郡部で突発事件が発生した場合、県庁から捕亡吏が駆けつけても間に合わなかったため、県は、「急を要する犯罪が発生した場合、人民が協力して犯人を取り押さえ、捕縛してもよい。ただし、みだりに拷問などしてはならない。」という布達を出した。自らの手で村を守ることになった県下の小区(現在の村)のうち、民費で取締番人を雇って村の治安維持に当たらせる自治体警察制度を導入するところも現われた(『 県治概略 』)。
この当時、行政 司法両警察の区別ははっきりしなかったが、明治8年3月に公布された「行政警察規則」で、「行政警察ノ趣意タルハ人民ノ凶害ヲ予防シ治寧ヲ保全スルニアル。行政警察予防ノ力及ハスシテ法律ニ背ク者アルトキ其犯人ヲ探索逮捕スルハ司法警察ノ職務トス、之ヲ行政警察ノ官ニ於テ行フトキハ検事章程並司法警察規則ニ照スヘシ」と定め、行政 司法両警察の区分を明確にした。この規則を受けて大分県は、明治8年4月29日、捕亡吏の名称を邏卒と改め、行政警察業務に従事させることとなった。
〈巡査 警部の誕生と大分県警察の設置〉
明治8年6月に開催された第1回地方官会議で、「邏卒の名称を警視庁に準じて巡査と改称すべきである。」という決議が採決され、同年10月、政府は東京を除く各府県に、邏卒を巡査と改めるように布達し、全国一斉に巡査が誕生することとなった(尾佐竹猛『明治警察 裁判史』)。大分県もこの布達に基づいて、同年12月に邏卒の名称を巡査と改め24人を置いた。更に、巡査を監督する警部7人を任命した(「大分県史料」20、28)。
翌9年1月8日、大分県には第1課から第6課が置かれ、警察事務は第4課が取り扱うこととなった。次いで県域を5区に分けて警部出張所を置き、その下に巡査屯所が置かれた。その後、宇佐 下毛両郡が大分県に編入された際、中津に第6警部出張所が置かれた。この出張所、屯所は、明治10年2月に警察署 分署と改称、県下に6警察署、39分署が置かれた。翌11年7月に制定された府県官職制で「府県の分課は 知事 にゆだねる。」とされ、大分県は11月に第4課を警察課と改称した。ところが、各府県の警察事務主管課の名称がまちまちとなったため、
内務省の指令で明治13年5月、大分県は警察課を警察本署と改称。その後、更に警察本部となり、明治23年に警察部と改められた。太平洋戦争後の昭和23年(1948)3月、警察法が施行され、国家地方警察と自治体警察が誕生し、国 都道府県と市町村の公安委員会の運営管理下に置かれることとなった。大分県下も、5市14町で自治体警察と、郡部に14地区警察署 1水上署 1支所が置かれた。しかし、この制度も運営に困難を生じ、昭和29年7月1日、新警察法施行によって自治体警察は廃止され、現在の大分県警察が発足することとなった(『大分県警察史』第1巻 大分県警察本部 昭和61年)。
〈刑務所業務の分離〉
大分県の成立で、監獄業務を取り扱う懲役場は、聴訴課の管轄下に置かれたが、明治9年に 大分県警察 が誕生すると、懲役場幹部吏員は警部が兼任した。翌年12月28日、懲役場は監獄署と改められ、県庁(現在の大分城趾)南側から大分町大道に移転した。明治19年7月の地方官官制で監獄事務は警察から県に移管、監獄課が新設され、その事務を典獄 書記 看守などがとることとなった。ついで、明治33年7月、監獄事務が内務省から司法省に移管されて刑務所は県から独立。警察署留置場の拘留囚と刑事被告人だけの監獄事務を警察官が執行することとなった(前掲書)。
参考文献 大分県警察本部『大分県警察史』第1 2巻 大分県総務課編「大分県史料叢書 、県治概畧」
[山本 将敬)]
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