大分県美術協会 ( おおいたけんびじゅつきょうかい)
県下最大の美術団体
日本画、洋画、彫刻、工芸、書道、写真の6部門で構成されている美術団体。日洋彫工部約500名、書道部約800名、写真部約400名の会員数を有する。大正時代の 大分県美術会 (日本画 洋画)の誕生を出発点とし、その後 太平洋戦争 をはさんでたびたび組織の再編がされ、昭和40年(1965)今日のような組織統合が実現した。各部とも毎年春秋の2回展覧会を開催し、県美術の発展に寄与した功績は大きい。
〈大分県美術会の誕生から終戦まで〉
大正10年(1921)2月5日、県内の美術愛好者たちによって大分県美術会(会長 市川 覃(ふかし) )が組織された。これは、同年大分市で開催された 九州沖縄八県連合美術展 10000 がきっかけとなって誕生したもので、これまでのグループとは異なり、全県的なものであった点で、現県美術協会の草分けといえよう。この展覧会は翌11年の第3回展(大分市女子尋常高等小学校)まで開催された。続いて大正14年には、新進若手画家たちにより、新たに 大分画壇 が結成された。これは、日本画部展が昭和2年(1927)まで開催されているのみで、洋画部の活動についてはよくわかっていない。昭和7年10月、 大分県美術家協会 10000 が「分散的な県美術界を糾合して定期的発表機関を作り、沈滞し勝ちな空気に生新さを漲らせ、大いに県美術界の振興を図る」をスローガンに、設立された。内容は日本画部と洋画部からなり、毎年春秋の2回展覧会を開催、同10年5月の第6回展まで続けられた。そして同12年、これまで以上に組織力を備えた大分県美術協会(会長 石丸優三 )が設立。ここにようやく本格的な美術団体の成立を見たのである。この設立に至るまでには、美術家同志の対立(新光会と青虹社)など、少なからず 紆余曲折(うよきょくせつ)があったが、結果的には無事に第1回展(同12年11月20〜24日,県公会堂)の開催がなされた。内容も従来の日本画 洋画に加えて彫刻 工芸部を新たに設け、一応の形を整えている。同協会は、かなり緊迫した社会状況であったにもかかわらず、展覧会開催に加えて、美術研究所の開設、会報発行などを行い、会の発展に努めた。しかし、わが国はついに太平洋戦争に突入、日ましに戦局は悪化、協会としても軍部への献納画展や海軍病院慰問席上 揮毫(きごう)会を行うなど、時局に対応しなければならなくなり、本来の展覧会活動も同18年(第10回展)を最後に中止しなければならない事態となった。
〈戦後〉
終戦をむかえ、県美術協会が再建のための最初の会合を持ったのが、昭和21年4月23日夜。続いて6月2日に関係者95名が集まって再発足結成大会を開き、会長に 権藤種男 を選出した。記念すべき第1回展(11月7〜13日,大分市トキハ)は、 福田平八郎 金島桂華(かなしまけいか) 江藤純平 生野祥雲斎(しょうのしょううんさい) らによって審査された71点(日 洋 工)の入選作が展示された。こうして 県美展 は毎年春秋の2回開催され、年々発展を続けて今日に至っている。戦後の県美術協会の歴史は、大体3期に分けることができる。第1期は敗戦後の復興にかけた権藤会長時代(同29年まで)、第2期は会長を置かずに委員長制をとった30年から、美術 写真 書道の三協会が統合されるまで( 武藤完一 、 宮崎豊 、 溝辺 有巣(ゆうぞう) 委員長時代)。特に第2期は、組織内の諸問題が一気に吹き出したり、財政的にもピンチをむかえていたりして、運営が難しい時期に当たっていたが、何よりも 県書道協会 10000 (同23年創立)、 県写真協会 10000 (当時 写真作家協会 10000 ,同34年創立)との統合問題が急速に具体化の運びとなり、慌しい時期であった。
〈統合 新大分県美術協会〉
戦後の第3期。現大分県美術協会である。昭和40年9月26日、三団体(県美協 県書協 県写協)合同委員会が開かれ、統合後の初代会長として前県美術協会長の溝辺有巣が選出された。ここに同37年以来懸案となっていた三協会の統合が正式に決定し、新しい県美術協会が発足したのである。同協会は、早速統合記念として大分県美術協会20年展を開催、またそれぞれに展覧会を開くなど、精力的に活動を開始した。新発足の同協会は、同42年5月に統合後の初の総会を開いて新会則を原案どおり可決、会長に宮崎、事務局長に仲町を選出して新体制が発足した。活動としては、県の補助金の増額獲得、日本画 洋画 彫刻 工芸部、書道部、写真部の三部の完全統合の実現、そして県立美術博物館の建設促進運動(資金づくり小品展や請願書提出など)の3点に重点的に取り組んだ。同52年9月に 県立芸術会館 10000 が大分市牧に開館したのも、県美協のそうした運動が実を結んだものであった。今後は、さらに各部の特徴ある運営が望まれている。参考までに現在までの歴代会長名をあげると、宮崎豊(同42年〜) 進来哲(すずきさとる) (同52年〜) 浜田 九一郎(くいちろう) (同56年〜) 仲町謙吉(同60年〜現在)である。
参考文献 大分県美術協会『大分県美術協会20周年記念誌』 後藤龍二『大分県美術協会史料』
[後藤 龍二]
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