大蔵永常 ( おおくらながつね)
「農」に執念を燃やした男
1768−1860 宮崎安貞 佐藤信渕とともに江戸時代の三大農学者の一人。明和5年日田郡隈町(日田市隈2丁目)に生まれ、安政7年(万延元年、1860)江戸で没す。行年93。遺髪を 願正寺 (日田市亀山町)に埋葬。法名は釈大海信士。通称は幼時亀太郎、長じて徳兵衛 喜内。字は猛純。亀翁、愛知園主人、黄葉園主人と号した。一時は日田喜太夫とも称した。35歳には大蔵氏の家の字である永を用いて永常と名乗った。永常の祖父伝兵衛は綿屋と称して、町はずれに畑を持ち綿を栽培して、その実から 繰綿(くりわた)を製造販売していた。伝兵衛は農業にくわしく特に綿作りには精通していて、「農作はただ仕事であってはいけない。わが子を育てるという心が大事だ。」と教えた。祖父に愛されて幼いころから仕事をしこまれた永常の幼い心に、その教えはしっかりと焼きついていた。父伊助は隈町の豪商 鍋屋(みつびきや) の 森伊左衛門 のところで働いており、永常も祖父の死後鍋屋に奉公した。年少のころから読み書きを習い読書が好きだった永常は向学の心しきりで師匠について学ぶ。これを見た父は、学問は悪いことではないが百姓は働くことが第一だ。なまじ本を読んで高尚ぶっては家を滅ぼすだけだ。決して読書をしてはいけないと禁じ、師匠に息子が来ても教えないで欲しいと頼んだ。このことがあって永常は書物による学問はあきらめたが、物事をよく観察し人の話を聞いて吸収する実地の学問につとめるようになった。伊助も愚直一方ではなく、仕事については研究熱心な職人肌の人物で製 蝋(ろう)の技術にすぐれ、蝋の原料となる 櫨(はぜ)の植栽についてもくわしかった。鍋屋では櫨蝋の取引のほかに寛政元年(1789)から製蝋も始めるが、永常は父と共に鍋屋の板場で働きながら蝋のみならず農産加工の基本的な技術や知識を身につけていったのであろう。日田では天明3年(1783)と同7年に、飢えに苦しむ農民が大勢町に出てきて富商から 粥(かゆ)を恵まれるいたましい状態を、永常は目のあたりにした。米や麦をつくる農民が飢えて町に出て町の人々に食を恵んでもらう姿は永常に強い印象を与えた。金銭をもっている商人が、自給自足の生活をしている農民に食を与える姿を見て、永常は農民も換金性のある作物で収入の増大をはかることが必要であると痛感した。その一つの見本が目の前にある綿や櫨であった。これをもっと広げていく途を求めて永常は日田を出た。23歳をすぎたところであろうか。永常はまず九州各地を働きながら転々として、農作物やその加工の知識 技術を習得していった。ある時期に薩摩に潜入して藩が秘密にしていた 甘蔗(かんしょ)の栽培や三島流という新しい製糖法を身につけている。そのほか肥後熊本 大津 日向延岡 高千穂、豊後竹田などにも廻り、新知識を役立てたり、農村の生活をつぶさに観察したりしている。寛政8年(1796)29歳の永常は、長崎をたって海路大坂に向かう。大坂では土方をしたとも手習いの師匠をしたとも伝われるが、やがて妻帯して長堀橋本町に一戸を構え苗木や農具の取次販売で生計を立てるようになった。その間にも念願の農村振興のための営農指導を続け、近郊農村に出かけては見聞を積んだり直接に教えたりした。
〈「農家益」の刊行〉
享和2年(1802)苦心の『 農家益 』3巻を刊行した。35歳の時である。為政者に副業の利を説き、ハゼの栽培や製蝋について力説した。永常は農学者として有名になったが、勉学の必要を感じ、大坂にいた 蘭学者 橋本宗吉について植物学 生理学などの手ほどきを受けた。オランダから輸入された顕微鏡を使って稲の花弁を調べ雌しべ雄しべのあることを知り、その著作の中で、植物の雌雄について正しい知識を紹介した。また西洋の化学の知識を基にして肥料について科学的に説明した『農家肥培論』の再版と『農家益後編』『豊稼録』を刊行。『後編』の中で永常は日田の蝋取引や櫨植栽について触れ鍋屋伊左衛門、小野筋の庄屋半蔵の名をあげ故郷を懐かしんでいる。江戸では関東一円から越後路 奥州路まで脚を伸ばして見聞を広げると共に知名士とも交わった。文化12年大阪に帰り10年間に丹後 敦賀 吉野 熊野 尾鷲 遠州相良など各地を巡り 農具 炭焼 蜜柑(みかん) 栽培 蜜蜂飼育等あらゆるものを観察、どん欲なまでに吸収につとめている。文政8年(1825)江戸に移り専心著述に打ち込む生活に入った。10年間で11種の著作を刊行。その間にあって羽倉簡堂 駿河田中藩の石井俊助 三河田原藩の渡辺華山 水戸藩の立原壬その他多くの知名士と交わった。天保4年以後田中藩 田原藩、水野忠邦の浜松藩で土地に応じた 殖産興業 の指導に尽力した。永常の著作は57年間に35種。文章が平易で、多くのさし絵を入れて分かり易く科学的である。異彩を放つ著書は『農具便利論』であり、彼の著作の集大成は『 広益国産考 』である。
参考文献 早川孝太郎『大蔵永常』
[首藤 助四郎]
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