「グロテスク」。
嫌悪感を持つようなタイトルだが、不思議な魅力がある。読み出したらやめられない。《見てはいけないものを見たい》という人間心理をくすぐられ、桐野ワールドに、ぐんぐん引き込まれてしまった。
名門Q女子高は、階級制度が確立された人間社会の縮図のような学校。幼稚園・小学校からエスカレーター式に進学してきた裕福な家庭の子女や家柄のよい子どもたちは、高校から途中入学してきた生徒とは一線を画し、自分たちだけの閉鎖的社会を作り上げている。途中編入組は、大半は無視されるか、いじめの対象になるかである。容易に仲間には入れてもらえない。悪意と欺瞞に満ちたこの女の園で生き残っていくには、圧倒的に美しいか、ずばぬけた頭脳で皆を敬服させるしかないのだ。
途中編入組のユリ子は、スイス人の父と日本人の母を持ち、その完璧な美しさでまわりを虜にしてしまう。しかし、同じ親から生まれたとは思えない程、醜い容姿で成績もぱっとしない姉である<わたし>の中傷により退学処分となり、やがて娼婦に身を落とし、絞殺死体となって発見される。
一方、<わたし>の同級生の和恵は、猛勉強してQ高に入り、上昇志向が強いので
競争心をむきだしにがむしゃらに頑張るので、クラスメートの失笑を買う。(努力しなくても勉強が出来るのが尊敬の対象になるのであって、ガリ勉は滑稽なのである)
その後、一流会社に就職した和恵は、ここでも男性社会の厚い壁に阻まれ、権力の中枢に近づくという自分の夢を絶たれてしまう。そして、昼間は会社員、夜は娼婦として渋谷の街に立つ生活を送るようになり、ユリ子同様に殺されてしまう。
なぜ、彼女たちは殺されなければならなかったのか。そして、彼らの《心の闇》とは
何だったのだろうか?
この小説は、実際に発生した「東電OL殺人事件」を基に作られたということで、発売当初から話題になったそうだが、女性の嫉妬、羨望、性・・・が赤裸々に描かれていて
迫力充分。特に、女性にオススメの書。
世の中には、本人の努力とは別にいくら頑張っても超えられない階級社会がある。裕福か貧困か、学歴があるか否か、美人か不美人か・・・によって左右される人生に
どう折り合いをつけていけばいいのだろう。
ユリ子と和恵を殺害した容疑者とされつ中国人のチャンの言葉「中国人は生まれた地域(内陸部の貧しい農民か、上海などの沿岸部か)によって、人生が決まっている」。
現代の格差社会を象徴している。 |