生物学的には「食糧」として食べられるものでも、地域によって、民族によって、
宗教によって、それを<食べない><食べてはいけない>あるいは<食べられない>と習慣づけている。例えば、クジラ然り、牛肉・豚肉然り、昆虫然り・・・である。いったい、何故そんな考え方になるのか?
フィールドワークを重ね、持論を展開する著者の考えに納得し、賛同した。≪食≫を通しての比較文化論であり、国際交流を考える上での原点であると思う。非常に
興味深く、面白かった。
「なるほど」と思った事例を2〜3紹介すると・・
★スペインには、イベリコ豚など塩漬けして乾燥させた美味しい生ハムがある。かつて、この国はイスラムに支配され、それに対するレコンキスタ(キリスト教徒の国土復興運動)という歴史があった。つまり、<豚肉を食べてはいけない>イスラム教徒に対して、キリスト教徒である証しのように豚肉を食べたことが、一種の抵抗運動にもなったのではないか、そして、それが美味しい生ハムという食文化を生み出すことになったという説。
★モンゴルでは、大地に一滴も血を流すことなく羊を解体する。その作業は迅速で、
肉や内臓などに分けられ、捨てるものなく皆で食べる。まさに、命を頂くという感じである。羊の解体を初めて見た筆者は、驚きよ感動とともに、こう思う。
「現代社会では、動物が殺されて肉となって口に入るまでのプロセスを見ることはほとんどないが、多くの命の犠牲の上に自分たちが生きながらえていることを自覚すべきである」と。
★他の文化圏の人から見ればゲテモノと思うようなものが、実に合理的な食べ物であることが多い。例えば、タイやラオスなど東南アジアで食べられているアリの卵やコオロギ、セミといった昆虫。中国のサソリ。日本では、信州のハチノコやカイコの佃煮など
は、その土地で労せずしてたくさん手に入れることが出来る貴重なタンパク源である。 |