お久しぶりです。
今日は西村さんのことを書かせてください。
入社が決まった大学4年生の夏、OBSに一度顔を出したのですが、その時待っていたのが西村さんでした。
意味もわからないままに発声練習などをさせられて、注意されて帰りました。
見たことはあるし、声も聞いたことがある。
帰って母親に「西村さんて人が見てくれたよ」って言ったら、
「そりゃビンビンちゆって有名なひとやんか!」ってとても驚かれました。
そこで母から西村さんが大活躍していた時の話を聞きました。
その後OBSに入社して、新人時代は3ヶ月間はほとんどスタジオに閉じこもって発声練習や喝舌練習を繰り返しました。
そんなとき、西村さんはよく様子を見にきてくれて、練習を聞いてくれました。
西村さんが読む定時ニュースの時はニューススタジオに連れて行ってくれて、ちょっとカメラが動いたら映るんじゃないかっていうくらい真横で西村さんのニュースを自分が読むかの様に緊張しながら聞いていました。
そんな緊張している僕の横で平然とニュースを読んでいました。
そこで、ニュースは「こうしてこうしてこうやるんだ」と教え込まれました。
そして昼飯を食べにも連れて行ってくれました。
「僕が長年食べ歩いたなかでも美味いと思うところにつれていってやる!」
と言っては、色んなところに行きました。
確かにどれも本当にうまいところばかりでした。
「ほんとうまいっす!」
と言うと、満足そうに、
「そりゃそうだ!僕がうまいと思うところなんだから!」
と言いながら得意顔で料理を食べる姿が今でも記憶に残っています。
そんな新人練習時代のある日、いつものように来て練習を聞いてくれたあとに、そこにあった裏紙にメッセージを書き僕にくれました。
ニュースの読み方とか癖とか、注意するべきことを書いてくれていました。
そして最後に書かれた言葉。
『頑張れ』
この言葉がすごい力を与えてくれるような、励ましてくれるような気がして嬉しくて、捨てずに取っていました。
今でもあの紙を見ると、その時の嬉しかった気持を思い出します。
携帯やパソコンの使い方がわからなくなるとアナウンス部にいる若手がよく呼ばれました。
あの時だけはこっちが先生で、子どものように「うん、うん、うん」と頷いたあと、少し恥ずかしそうに「どうもありがとね」と言っていました。
でもその二分後ぐらいに、「小田君、ちょっと・・・」とまた恥ずかしそうに呼ぶことも度々でした。
正直、西村さんがとても活躍していた時代というのはほとんど知りません。
ただ、過去のVTRを見たりラジオを聞くとあの人のすごさを思い知らされます。
しかも不思議なことに、自分がこの仕事をすればするほどそう思うんです。
1年目より2年目、2年目よりも今見るほうがすごいと思える。
個人的な意見として聞いていただきたいのですが、あの人はアナウンサーの才能を与えられて持って生まれた人なんじゃないのかなと思います。
だからまたいつか生まれ変わったとしても、どこかで必ずアナウンサーになって、元気いっぱいにしゃべっていることでしょう。
かぼすタイムの「スタッフルーム」というところに、西村さんのことを書いていました。
『西村さんの「なーんも心配いらん!」の一言ですべてがうまく行くような…。』
その文の通り、あの人は発する言葉に“力”を込めることが出来るアナウンサーだったと思います。
西村さんを知っている方は、この日記を見て西村さんの名調子を思い出してもらえれば幸いです。
知らない若い子は、お父さんやお母さんが出身が大分なら聞いてみてください。知っているかもしれません。
僕は感謝の気持ちだけです。
新人時代、僕がまだ西村さんのニュースに後ろからついて階段を登るときに、あの人の後姿がとても大きく感じました。
あの姿がもう見られないと思うと悲しいです。
僕はこれまで幸せなことに、親しい人の死に直面したことがほとんどありませんでした。
でも今回直面しました。
告別式の時はまだ実感がありませんでした。
でも今時間がたっていろんなことを思い出したらむちゃくちゃ寂しくなってきます。
西村さん、本当にありがとうございました。
あの裏紙の『頑張れ』がこの仕事をする僕に力を与えてくれます。
頑張ります。 |